【横尾 忠則】絵が出現したり消滅したり…言葉で伝えられない感覚を描いている。|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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日常の向こう側ぼくの内側
更新日:2019年4月9日 / 新聞掲載日:2019年4月5日(第3284号)

絵が出現したり消滅したり…言葉で伝えられない感覚を描いている。

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2019.3.25
 朝日新聞の書評委員だった野矢茂樹さんがアトリエに、「甘い物なにがいい?」と問われて、「わらび!」とリクエストしたら本当に持参された。野矢さんは約束の2年が終了したばかり。ユニークな書評が読めなくなったのは残念。とかく哲学者の言葉はぼくには謎めいていて解ったような解らないような……。絵描きは絵を描く、その行為の中に哲学が潜んでいるんじゃないかな。

2019.3.26
 三井住友銀行の情報WEBサイト「Money VIVA」でお金にまつわる話のインタビューを受ける。

凍結している絵に筆を加えるが、何をしようとしているのか見えないために一向に進行しない。快楽と苦悩は背中合せで、苦悩を避けて快楽に至るということはあり得ない。もっと無頓着になれば苦悩は他人事のはず。無頓着になるために勇気が必要というのもおかしな話だけれど、そーなんだ。

この間来られた東大病院の稲葉先生に足が痛いという妻が診てもらいに行く。足の痛みやむくみは内臓と無関係で一安心。年齢のわりには特別悪いところがないと評価されて帰ってきた。

今日の朝日新聞の夕刊の大西若人さんの福沢一郎展の批評で、福沢さんのシュルレアリスムの絵が、ぼくの作品にも近いという指摘が面白いと思った。言われると共時性は否定できないが源泉はちょっと違うかもしれない。

2019.3.27
 150号はやはり手ごわい。サイズにのみ込まれないようにしなきゃ。長い間離れていたサイズを取りもどすということは頭や感性ではなく肉体の問題である。

客員教授をしている京都市立芸術大学の修了制作展のカタログを送ってくるが、どの作品も明日からプロになれるようなレベルの高いものだ。ぼくが彼等の年齢時にはとても描けないような作品ばかりで、少々恥ずかしい気持になる。

ここ数日前から晩酌で飲めない酒を飲んでいる。山本さんの上海土産の桃酒のことだが、これなら血行が良くなるに違いない。

2019.3.28
 ここ1ヶ月以上毎日絵を描いている。画家なら当然のことなのだが、この習慣から長い間離れていた。絵を描いていれば時間が超えられると思ったが全くそんなことはなさそうだ。もう今月も間もなく終る。2月の終りにぼやいていたばかりなのに、あれからもう1ヶ月かァ。展覧会があるから描くというのもどこか不純な気もしないでもないが、まあ、あるからこそ力がでるということもある。絵は本来無目的なものだと思う。描くこと自体が目的だからこそ、そこには遊びも自由もある。展覧会のためというのは大義名分で、これを理由に自己啓発かあ、と逃避しているような気がしないでもない。

妻が自動車免許取得のため、認知症などの試験に行くが、97点の好成績で帰ってきた。「あと3点減は何?」と聞くと時計の長短針の読み違えで減点だったというが、小学低学年だって時計は読むよな。

内田裕也さんと(撮影・篠山紀信)
2019.3.29
 裕也さんが希林さんの後を追ったかと思うと今度は萩原健一さんが裕也さんの後を追って逝去。ショーケンとのおかしなエピソードは沢山ある。裕也さんもそーだったがショーケンも、キ真面目さと無手勝流が混然一体で、このキャラはぼくの絵のキャラでもあるので、2人共気がよく合った。

裕也さんの葬式に弔辞を頼まれたけれど、こーいうのはニガ手なので、文章を書いて誰かに代読してもらうことにした。彼のために描いたポスターの裏に毛筆で書いた。

150号の完成を目前に、またドンデン返しを起こしてしまった。いつまでたっても描き上らない。あゝでもない、こうでもないというのがクセだ。結局絵は気分とか、思いつきとかのクセみたいなものだ。

原武史さんから『平成の終焉』送られる。こーいうことにはうといので、この際勉強しておきましょう。

野矢茂樹さんから『ここにないもの』と『哲学な日々』が送られる。この本は拙著『言葉を離れる』で講談社エッセイ賞をもらった時、野矢さんが次点だったという因縁の本だそーだ。

萩原健一さんと(撮影・篠山紀信)
2019.3.30
 日記に記述しなかったけれど2日続けて「ギルガメッシュ」という言葉だけが響く夢を見る。

今日初めて気がついてびっくりしたが左手の人差指の先がひん曲っている。なんとも気持の悪いものだ。

2019.3.31
 〈長男ガ家ニ蛇ガ棲ミツイテイルト騒グ〉物騒な夢を見る。

絵が出現したり消滅したりする。この感覚を言葉で伝えにくい。言葉で伝えられない感覚を描いているのだから無理もない。あと1日半でこの絵から離れるだろう。こういう状態になると次の絵の出番が待っている証拠だ。(よこお・ただのり=美術家)
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