富小路禎子『芥子と孔雀』(2002) 「こどもの国下車駅」とふホームに老夫婦重々と一生の影曳きて立つ |書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
更新日:2019年4月9日 / 新聞掲載日:2019年4月5日(第3284号)

「こどもの国下車駅」とふホームに老夫婦重々と一生の影曳きて立つ
富小路禎子『芥子と孔雀』(2002)

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「こどもの国」の名を冠する駅は国内に二つある。横浜市青葉区の東急こどもの国線と、愛知県西尾市の名鉄蒲郡線である。ともに「こどもの国」という名の遊園地の最寄りであることに由来している。この歌に詠まれている駅がどちらであるにせよ、「こどもの国」という名称にはそぐわない老夫婦ふたりだけの乗客に、なんとも奇妙な印象を受けたという趣旨であることは変わらない。単に孫と現地で合流するだけなのかもしれないし、そもそも「こどもの国」に行くわけではないのかもしれない。だからこの発想は「下手な勘ぐり」「考え過ぎの妄想」と言えないわけでもないのだが、そういうところから案外奇想は始まってゆくものだったりする。

前述の二つの同名駅のうち、横浜説の方を取りたいのは、東急こどもの国駅が終着駅だからだ(といってもわずか3駅しかない単線路線なのだが)。駅が進むにつれて一生の影を重々しく濃くしてゆく夫婦。「こどもの国」で下車する頃にはすっかりと小さくなった老夫婦。そんな妄想をしたくなってしまう。「こどもの国駅」をそのまま使わずわざわざ「下車」を付けたのも、「重々と」の感覚をより一層強めるためではないかと思う。

ただこの説にはひとつ問題があって、終着駅ならこの情景を見ている歌の主人公も「こどもの国」で下りていることになる。あなたは一体、なぜ「こどもの国」で下りようとしているのですか、と問いかけたくなる。(やまだ・わたる=歌人)
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