なぜフィクションか? ごっこ遊びからバーチャルリアリティーまで 書評|ジャン=マリー・シェフェール(慶應義塾大学出版会)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年4月6日 / 新聞掲載日:2019年4月5日(第3284号)

なぜフィクションか? ごっこ遊びからバーチャルリアリティーまで 書評
なぜ人はフィクションを求めるのか
人間の「フィクション力」に着目した虚構論の基本文献

なぜフィクションか? ごっこ遊びからバーチャルリアリティーまで
著 者:ジャン=マリー・シェフェール
翻訳者:久保 昭博
出版社:慶應義塾大学出版会
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待望久しいフィクション論の必読書の邦訳である。仏語原著の出版は一九九九年。以来、この本は世界中のフィクション論者によって第一級の理論書として参照されてきた。フィクション論は日本ではいまだ十分に開拓されていない分野だが、本訳書の登場によってこの分野での研究が一気に活性化されることを期待したい。

フィクションは「無からの創造」であるわけではない。本書の著者ジャン=マリー・シェフェールによれば、それはミメーシス(模倣)をベースとする現実認識のひとつの方法である。ただ、ひとくちにミメーシスといっても、動植物の擬態から高度なデジタルシミュレーションまでいろいろある。芸術(小説、演劇、映画等)のミメーシスはその一角を占めているにすぎない。しかも、芸術分野に関するかぎり、ミメーシス概念をめぐる議論は錯綜をきわめている。そこでシェフェールは「外側から」のアプローチを試みる。つまり、まず日常的な模倣行為という「外堀」を埋め、しかるのちに(芸術的)フィクションという「本丸」に迫るという戦略である。かくして彼は、動物行動学、発達心理学、学習理論、認知心理学、人工知能理論を援用しつつ、ミメーシス概念の全幅を精査する。この概念についてここまで徹底した科学的分析・分類を施したのは本書がはじめてではないかと思う。本書は(文学談議に流されない)ミメーシス論としても貴重である。

シェフェールは、『詩学』のアリストテレスに倣って、ミメーシスの、つまりはフィクションの認識上の効力とそれがもたらす喜びを強調する。その裏には、アナロジックな思考を一段低い認識と見なすとともにフィクション有害説を唱える反ミメーシス派(プラトン派)にたいする強い反発がある。これは単に古い議論ではない。シェフェールによれば、反ミメーシス主義は古代ギリシアから今日まで脈々と続く伝統である。たとえば今日のサイバーカルチャー批判は、一九世紀の写真批判や反リアリズム、反自然主義の延長上にある反ミメーシス主義の現代版なのである。抽象画や抒情詩を優位におく芸術観についてもしかり。シェフェールの著作に慣れ親しんだ者なら、ここには『モダンエイジの芸術』(一九九二)の著者が顔をのぞかせていると感じることだろう。

フィクションはもちろん並のミメーシス的産物ではない。シェフェールはそこに「模倣」(見習うこと)から「偽装」(ふりをすること、なりすますこと)への、さらには「遊戯的偽装」への転位をみる。「遊戯的」とは、本気でない、プレイモードのという意味である。フィクションは嘘とはちがい、人を騙すことを目的としないからだ。ただしプレイモードは他人(フィクションの受け手)と共有されてはじめて有効性をもつ。冗談のつもりで言ったことを相手が本気にとって喧嘩になるなどというのはよくあることだが、それと同様、フィクションの「つもり」が常に通用するとは限らないのである(悪魔役が舞台に登場すると劇場から逃げ出したというエリザベス朝時代の観客の例)。かくしてシェフェールによるフィクションの定義は、約めていえば「共有された遊戯的偽装」となる。言葉は硬いが、簡にして要を得た定義である。

思えば、フィションをフィションとして受容するには、いわば信じつつ信じないという、「寸止め」にも似た微妙な心的操作が必要なのである(コウルリッジはこれを「不信の一時停止」と呼んだ)。これを行う能力、ただしほとんどの人間が成長の過程で自然に身につける能力をシェフェールは「フィクション能力」と名づけている。いまやフィクション論研究者のあいだではすっかり定着した観のある用語だ。子供の「ごっこ遊び」が、この能力が最初にまとまって発揮される場であることはいうまでもない。

論点はむろんこれに止まらない。久保昭博による日本語訳が、けっして平易とはいえない本書を能うかぎり噛み砕いた名訳であることも付言しておきたい。解説も充実している。フィクション論者のみならず、フィクションを愛するすべての人に読んでもらいたい一冊である。
この記事の中でご紹介した本
なぜフィクションか?  ごっこ遊びからバーチャルリアリティーまで/慶應義塾大学出版会
なぜフィクションか? ごっこ遊びからバーチャルリアリティーまで
著 者:ジャン=マリー・シェフェール
翻訳者:久保 昭博
出版社:慶應義塾大学出版会
以下のオンライン書店でご購入できます
「なぜフィクションか? ごっこ遊びからバーチャルリアリティーまで」出版社のホームページはこちら
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