文化資源学講義 書評|佐藤 健二(東京大学出版会)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年4月6日 / 新聞掲載日:2019年4月5日(第3284号)

文化資源学講義 書評
新たな視界の獲得
「情報」という概念の脱構築

文化資源学講義
著 者:佐藤 健二
出版社:東京大学出版会
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 昨年一〇月、文化庁に文化資源活用課という部局が誕生した。言うまでもなく、新東京オリンピックとそれ以降の文化行政をにらんでの改組であろうが、行政機関の中にこのような組織が作られたということは「文化資源」という言葉が今や公のものとして流通し始めたことを意味していよう。

評者がこの耳慣れない言葉に初めて接したのは二十年ほど前に遡るが、いつの間にか科研の細目に登場したかと思えば、経産省や地方公共団体のパンフレットで経済効果や観光資源とともに語られ、あまつさえ、少なからぬ大学の学科・コース名にまで使われている(この四月には北九州市立大学文学部に文化資源コースが開設されるという)。

だが、そもそも「文化資源」とは何を意味するものなのか? よく意味はわからないけれど、何となく含蓄がありそうな言葉として一人歩きしてはいるものの、その実態はジャック・ラカンの言う「空虚なシニフィアン」である。既成事実が積み上げられた結果、この「文化資源」という新語はいつのまにか立派に市民権を得て、一つの行政的価値や学問分野を指示する呼称として流通してしまった。そして、その到達点が今回の文化庁における「文化資源活用課」の誕生というわけである。

しかし、既成事実は説明しない。いったいこの「文化資源」とは何なのか? 文化財でも観光資源でもなく「文化資源」という新語が用いられるからには、それ相応の理由があるはずに違いないのだが、正直なところ、この「文化資源」という言葉の内実を探したとき、それを参照することのできる専門書は長らくほとんど皆無という状況だった。

だから、本書の登場は、待望であると同時に、まさしく時宜を得たものだと言える。もちろん、文化資源学という名前の登場する書物としては、すでに渡辺裕『サウンドとメディアの文化資源学 境界線上の音楽』があるが、その対象を「文化資源学」そのものに据えているのは本書が嚆矢である。

本書によれば、「文化資源」という言葉は東京大学大学院の新専攻名として二〇〇〇年に誕生した。著者の佐藤はその創設者の一人であるから、本書は、遅まきながらの出生届といった側面も持ち合わせている。しかも、あくまで「文化資源」とは学問領域の名称である以上、そこには創設者たちが込めた基本理念があり、また、「文化資源学」特有の研究手法があったということが説明されている。

例えば、著者の佐藤が実践して見せる文化資源学的手法とは、「情報」という概念の脱構築にある。具体的に言えば、情報を物質という側面から捉え直すことである。物質化した情報の例としてあげられているのは、新聞錦絵、戦争錦絵、絵はがき、観光の誕生、新聞文学、万年筆、遠足、実業、関東大震災における流言蜚語である。「情報」及びその伝達をそのメディア(情報の支持体やそれを担う身体)との関係から考察し直すことで、情報が物質性によって大きく加工・制約されるものであることが明晰に分析されている。評者も本書から万年筆や関東大震災の流言蜚語について多くを教えられた。

したがって、本書を繙けば、「なんとなく文化資源」の状態から大きく踏み出すことができるのは言うまでもない。文化資源とは、あらゆる対象を従来の視点とは違った角度から再検討し、新たな知見を獲得しようとするための研究手法を指すための呼称だったことがわかるはずである。

「だった」。そうである。現在、行政や一般に用いられている「文化資源」という言葉の使用法とこの「文化資源学」という研究手法のあり方との間に大きな乖離がある。それは文化資源学会(というものが存在する)の最新の調査報告からも裏づけられている。

とはいえ、「文化資源」の正当性を主張することは、「オーセンティシティ」にこだわること、ホンモノ/ニセモノの水かけ論に逆戻りすることであり、ミイラ取りがミイラになることであろう。時代はすでに「文化資源」という言葉が作り出す広がりを楽しむ時代に来ているのだ。それゆえ、本書は原点回帰のための参照文献というよりも、その広がりの一つの波紋としてとらえても構わないだろう。

実際、行政においても、文化的対象物を別の角度から見たら、文化的意味だけでなく、経済効果が見えてきたということなのだから、文化資源学的な見方が行政の場においても活用されているとも言えるのである。

社会が今後「文化資源」という言葉をどのように活用していくかは未知数である。だが、少なくとも文化資源「学」の方は、そうした方向を斜めから見る斜角の精神を捨ててはならないだろう。もはや「文化資源」という言葉などどうでもいい。大事なのはその言葉に託されていた斜めに見る精神の方である。その新たな視界の獲得を目指していた、初発の突破力の痕跡が本書にはありありと刻みこまれている。

多分、本書が文化資源学の育ての親である木下直之に特権的に捧げられていることの理由もそこにある。だから、その意味でも、本書は「文化資源」という言葉に関わるあらゆる人々に必読の書なのである。
この記事の中でご紹介した本
文化資源学講義/東京大学出版会
文化資源学講義
著 者:佐藤 健二
出版社:東京大学出版会
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