前立腺歌日記 書評|四元 康祐( 講談社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年4月6日 / 新聞掲載日:2019年4月5日(第8284号)

愛と性と生と死を見つめて
~オトコの妄想と恥じらいと~

前立腺歌日記
著 者:四元 康祐
出版社: 講談社
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前立腺歌日記(四元 康祐) 講談社
前立腺歌日記
四元 康祐
講談社
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前立腺、と聞くと、多くのオトコは恥じらう。自分の性的能力に関わる神秘の場所だからだ。タマの奥で男性器や泌尿器の機能を司るらしい。九〇年代、女性が男性の前立腺を刺激する前立腺マッサージという言葉が流行った。前立腺がん手術は性的能力を失うという。前立腺問題は男性だれもが気になるのだ。

四元康祐は朔太郎賞、鮎川信夫賞を受賞した詩人で小説も発表し、長くドイツに住んでいる。本書は現地での前立腺がん闘病記だ。となると深刻な本を想像しがちだがそうではない。恋あり愛あり波瀾万丈?の物語ともいえる。当時五六歳。ミュンヘンの企業に勤め、妻と成人した二人の子どもがいて、検査でPSAの値が高いと告げられる。父も祖父も叔父も前立腺がんで、いずれはという不安はあった。すると生検でがん組織が見つかる。

検査の前に、日本から来ている絵画修復士の女性と知り合う。デートの約束をしてほのかな想いを抱き、心の中に、積極的に出よう、いや、という二人の自分を意識する。だが生検結果が陽性で彼の想いは萎んでしまう。「天に向かって/ぴんと尻尾を立てた/一縷の黒猫に見下ろされながら/「やっぱり」が/とぼとぼ坂を下りてくる」 家に戻って自慰をすると、生検の血が混じった精液が「イチゴミルク」のように噴出する。このように、シニアの性欲が率直かつコミカルに描かれ、そこに短歌や詩が挿入される。本人だけでなく谷川俊太郎、エリオットなどが絶妙な感覚で入り込むのだ。

手術後はカテーテルによる尿の排出、看護婦のケア、退院後はリハビリ施設で三週間、再び病院で毎朝、通勤前に三五日間の放射線治療! そこでの人々をさりげなく魅力的に描き、死に関わる闘病記なのに軽やかだ。

そのなかで出会う女性たちに、ほのかな想いを寄せる。こう書くと女好きに思えるが、そうではない。性機能危機に対する最後のあがきのように、想いを口にするのだ。いやこれはオトコが日常に抱くちょっとした想いや妄想なのだ。「あの瞬間だけのために、男たちは、なんべんでも恋をする。(中略)男の舌が女の唇を割つたそのあとで、女のはうから、おづおづと、/男の口に舌をさし入れてくるあの瞬間のおもひのために。」(金子光晴)女医を誘おうと下心が芽生えたのに、肛門触診されて気持ちが萎えるなどのユーモラスな情景は、オトコには他人事ではない。

そして、ネットサーフィンで見つけたベイビュー事件が語られる。一九四五年の日本軍によるマニラの市街戦では十万人以上が殺されたが、欧米人を含む若い女性数百人がホテルに集められ強姦された事件だ。欧米の記録もあるのに日本人には知られてない。四元はここから小説を構想する。これに着目したのは自分の性欲を見つめたからだろう。犯罪や事件は日常や個人とつながっているのだ。
さらに、死を見つめる視線に散文と詩が入り交じって、死の淵をのぞく「地獄めぐり」を編み上げる。こうして四元は、ダンテの地獄と天国、すなわち下降と上昇の逆転、さらに、生の根源たる、永遠の大波のうねりを感じるに至る。

本書が優れているのは、こうした想いや考察にオトコが共感し、自分に引きつけて考えられることだ。さらに女性もオトコの愚かさ、幼さを笑いながらも、がんや死とどう向き合うかをリアルに知るだろう。つまりこの本は、愛と性と生と死をどう生きるかを、素直にカッコ悪く、詩の力を生かして描き出した名著なのである。
この記事の中でご紹介した本
前立腺歌日記/ 講談社
前立腺歌日記
著 者:四元 康祐
出版社: 講談社
以下のオンライン書店でご購入できます
「前立腺歌日記」出版社のホームページはこちら
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