たのしい暮しの断片 書評|金井 美恵子(平凡社 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年4月6日 / 新聞掲載日:2019年4月5日(第3284号)

たのしい暮しの断片 書評
金井姉妹の新しい桃色の本
危うさをはらんだ美しいかけら

たのしい暮しの断片
著 者:金井 美恵子
イラストレーター:金井 久美子
出版社:平凡社
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 去年の今頃に刊行されたある文芸誌の金井美恵子特集に書評子は寄稿し、それを読んだ編集者からこの原稿の依頼が来たというわけだけれど、「「薔薇色をどうするか」への序説」と題するその論考は、主として「薔薇(バラ)色」、「桃色」、「ピンク」として名指される赤系統の中間色への好みが、わたしたちの作家の作品世界全体を意義深く構造化している次第を分析するために書き起こされつつ、まったく本題に入ることなしに終わってしまったものだ。その一年後に届けられた『たのしい暮しの断片』は、まずは金井久美子の手になる見事な造本――この姉妹の共同作業のなかでも、たぶん最良のもののひとつ――のたたずまいを通して、そんな書評子のみならず金井美恵子の全読者に、作家の色彩的想像力の本質をなす何かを改めて告知する書物だといえる。

桃色を基調とするカバーないし函に包まれたおそらく十一冊目の本である本書は、穏やかさと不穏さの印象を同時に与える薔薇色の空の下、深く暗い緑の草の上に座った白うさぎの映像とともにわたしたちに差し出される。しかしこのうさぎは単に白いのではない。画家が描き出す小動物は、いわば、ぬいぐるみで再現しようとするなら「桃色のサテン」が必要になるだろう「耳の内側」を強調され、白い毛皮の下に広がる「薔薇色の肉」をそこここに予感させながら、「赤い透きとおる薔薇ガラスみたいな」眼でこちらを見つめている(引用はすべて一九七二年の作家の短篇「兎」より)。「桃色」と「薔薇色」は、何より、血と肉と内臓の塊としてのわたしたちを覆う表皮が帯びる色彩なのだ。

すぐれて「生命の色彩」というべき赤の鮮やかさは、例えば「クリスマス・カラー」の一部として街を賑わせるときにわたしたちを喜ばせもするが、しかしいうまでもなく、それが血液そのものとして露呈することは、日常の平穏さを脅かすものとして、不安をかき立てずにはいない。「純白の下着」に「経血」をにじませる女性たちの心の痛み……。生命が生命としてのみずみずしさを認められるのは、この赤を内部に保ち、外部に向けて迸らせることがない限りでのことだ。そのとき赤は、わたしたちを包む表面において、桃色や薔薇色として現れることができるのだし、だからこそ、マニキュアや口紅の「濃い」赤は、表面とのこの宥和を突き破る不遜さの表明であるかのように、「上品な感じ」の欠如として受け止められもする。ただし、みずみずしさの穏やかな表明は、つねに自ずから実現されるのではない。爪を「マニキュア用の爪みがきでこすると、ある程度ピンク色の艶が出て」くるのは若々しい肉体にあってのみなのだし、内側からの発露であるべきものを外から人為的に補う「白粉や頬紅」は、「つけ方が下手」であれば、「地の黒いというか紫色の肌の上でまだらになっている顔」を結果させもするのだから。桃色と薔薇色は――本書でそのようにいわれている白にまったく劣らず――「複雑な色なのである」。

目を奪う鮮烈な赤を基調とする作品を多く含む挿画を落ち着いた桃色でくるんだ本書、「破滅的衝動」を内に秘めた小説家と画家による「気持ちの良いこと」探求の成果である本書は、日々の暮らしのなかから諸々の穏やかなもの、優しいもの、楽しいもののかけらを拾い上げるのだけれど、そうしたすべての下にほとんど隠されてもいない不穏さと残酷さと苦しみに立ち止まりながらそうする。猫という「しなやかな生き物」に「触りたい」という、「欲望というと大仰」になってしまうけれどまぎれもなく切実な思いが、そんな思いゆえに著者とは別の作家が見舞われることになった「ちょっとした悲劇」を通して確認される印象深い一節を読むだけでも、本書が提示する幾つもの美しいかけらが、取扱注意の危うさをはらんだものであることが実感されるだろう。
この記事の中でご紹介した本
たのしい暮しの断片/平凡社
たのしい暮しの断片
著 者:金井 美恵子
イラストレーター:金井 久美子
出版社:平凡社
以下のオンライン書店でご購入できます
「たのしい暮しの断片」出版社のホームページはこちら
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