元治元年春、島隆は写真撮影を / 6712(日本写真企画)桐生の女丈夫、島隆の評伝|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

著者から読者へ
更新日:2019年4月6日 / 新聞掲載日:2019年4月5日(第3284号)

桐生の女丈夫、島隆の評伝

元治元年春、島隆は写真撮影を
著 者:村上 陽子
出版社:日本写真企画
このエントリーをはてなブックマークに追加
一橋家の奥女中であった島隆は奉公を退いた後に島霞谷という人物と結婚し、元治元年春、夫の『島霞谷肖像』を撮影する。その写真が昭和六一(一九八六)年の蔵の調査で確認され、写真の裏に「写真師 島隆」と書き込みがあったことから彼女は一躍脚光を浴びることになる。元治元年は明治維新の四年前、島隆は「写真師」だったと「発見」されたのだった。

著者は古写真を集めた書籍の中で偶然、島隆の姿を目にし、その存在感に圧倒されて目をそらすことができず彼女の足跡を辿り始めるが、残された書付などを読み進むうち、島隆は本当に「写真師」だったのかという疑問を抱くようになる。

島霞谷が徳川幕府開成所に出仕した直後に撮影した『大納言徳川茂榮と化学教師ハラタマ』の写真の裏に「開成学校」と書き込みがあったことから、撮影された時と鶏卵紙に焼き付けされた時の間に「微妙な時間のズレ」があることを解き明かし、島隆が「元治元年春」に撮影した『島霞谷肖像』写真もまた、ずっと後になって鶏卵紙に焼き付けされたのではないか、と謎解きをするように推論を重ねていく。「写真館開業宣伝文」といわれる文に彼女は写真への揺るぎない自負と誇りを込め、私たちは「写真の先駆け」だったのだと高らかに宣言するが、そこにも「写真師」の文字は記されていない。

明治三年に夫が他界すると、故郷桐生に戻り土蔵を建て、隆は霞谷の遺品類をその中に収めて守り続けようとするが、それらの品々が昭和六一年の調査で確認され、「幻の……」と伝えられるだけであった島霞谷の業績は高く評価されることになる。

蔵の奥に置かれた葛籠の中から『黒いコウモリ傘をさす島隆』のガラス湿板写真も見つかるが、その姿は昭和の「発見」まで誰の目にも触れることがなく、島隆が「写真師」だったと知る人は一人もいなかった。彼女は写真に関わるみずからの姿を封印しようとしていたのかもしれない。それよりは夫島霞谷の残した仕事を守りたいと、七十七歳で息を引き取る最期まで「島霞谷の妻」として生きようとしていたのかもしれない。

幕末から明治という激動の時代を彼女はしなやかに賢く逞しく、一人で生きようとする。上野国桐生が育んだ女丈夫、島隆という女性が確かにいたのだということをもっと多くの方々に知っていただきたいと願っている。
この記事の中でご紹介した本
元治元年春、島隆は写真撮影を/日本写真企画
元治元年春、島隆は写真撮影を
著 者:村上 陽子
出版社:日本写真企画
以下のオンライン書店でご購入できます
「元治元年春、島隆は写真撮影を」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
岡田 荘司 氏の関連記事
著者から読者へのその他の記事
著者から読者へをもっと見る >
学問・人文 > 伝記関連記事
伝記の関連記事をもっと見る >