川上未映子が「夏物語」で問うたものとは  町屋良平の描く関係性の新しさ/大前粟生、小林エリカ、今村夏子|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年4月7日 / 新聞掲載日:2019年4月5日(第3284号)

川上未映子が「夏物語」で問うたものとは
町屋良平の描く関係性の新しさ/大前粟生、小林エリカ、今村夏子

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先月と今月で川上未映子「夏物語」(『文學界』)が完結した。千枚の大作である。テーマはアクチュアルかつ批評性を帯びているし、大阪弁と標準語を併用した文体もここに極まれり、だ。だけど、腑に落ちない点がいくつかある。物語は第一部と第二部に分かれる。第一部は作者の代表作『乳と卵』を加筆したものだ。物語の構造に変化はさほどない。第二部になるとAID、つまり、「パートナーなしでの妊娠及び出産」に興味を持つ、性的交渉の苦手な語り手である夏子の、愛する男性のいない状態で子どもを産むことに対する決意と逡巡に主題が変わる。AIDで生まれた「当事者」の逢沢潤、善百合子らと出会い、その葛藤は深まるばかりだ。そしてたどり着いた答えに、読者は驚きを覚える。

腑に落ちないと言ったのは、何故、今一度、川上未映子が『乳と卵』をリライトしたのか、という点だ。この小説は、作者の力量なら、第二部だけでも成り立った。しかし、そうはしなかった。小説家が自身の代表作を焼き直すとはどういうことか、申し訳ないが、そのことがわからない。もう一つは、物語後半で善百合子が語り手に提示する問題提起に関するもの。子を産むというのは暴力的なことではないか。大人のエゴイズムではないか。彼女はそう問うのだが、作者が物語ラストに導いた解答はその問いに答えるものになっているのだろうか。思わず首を傾げてしまった。

『新潮』に町屋良平の芥川賞受賞第一作「ショパンゾンビ・コンテスタント」が載っている。この作者の描く身体性の新しさは多くの論者が論じているので、今更、私が言わなくても良いだろう。この作品が斬新なのは、そこに描かれる三角関係にある。古典的な例を持ち出すが、随分前に、漱石の『こころ』をルネ・ジラールの欲望の三角形で解釈するというのが流行った。早い話、人は他人が欲しがるものを欲しがる、ということだ。しかし、ここに描かれる三角関係は、そうではない。二人の男性が一人の女性に抱く好意が強まるうちに、男性同士の関係性が深まるのだ。嫉妬や粘着質なモノは介在しない。また一つ、近代が壊れた。

同じく『新潮』から大前粟生「ファイア」。全く、この作者の想像力にはいつも驚かされる。京都で火柱系ラーメンというのが流行っているという設定で、そこで働く、臨月を迎えた女性が主人公だ。火柱系とは、文字通り、ラーメンに着火すると火柱が燃え上がり、時には髪や髭が焼けるというラーメンだ。しかし、そんなユーモラスな設定のなかに、人間の原始的な欲望、そして生命の根源性が隠れている。こういう小説家こそ、世界に出てほしい。

世界に知ってほしいと言えば、放射能汚染の危険性が溢れるなかで開催される東京オリンピックを描いた小林エリカ「トリニティ、トリニティ、トリニティ」(『すばる』)も、そうだ。作品には、記憶を失くし、トリニティという病にかかった老人たちが、放射性物質の混じった〈不幸の石〉を手にして、テロを仕掛けるのではないかという日々に怯える、日本人の姿が描かれている。そこに、第二次大戦からの放射能の歴史が絡み複層的なストーリーとなっている。見えざるもの ――放射能だけでなく戦後の核と日本人の関係性も含めた――を可視化した物語だ。

今村夏子「むらさきのスカートの女」(『トリッパー』)は街の「有名人」であるむらさきのスカートの女(不潔、職なし)を、語り手が、彼女と友達になりたい、という一心で追いかけるコメディカルな物語だ。語り手は、密かに求人誌を彼女が決まって座るベンチに置き、同じ職場(簡単作業、誰でも受かる)に就職するように誘導する。そこから、このむらさきのスカートの女の正体に迫っていくのだが、彼女の正体が明らかになるにつれて、語り手の実態があやふやになっていくのが、この作品の巧いところだ。いわば不気味な語り手の存在が小説の輪郭を曖昧にする機能を果たしている。(ながせ・かい=ライター・書評家)
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