対談=立岩真也×天田城介 病・障害から社会を描く 『不如意の身体』『病者障害者の戦後』(青土社)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 特集
更新日:2019年4月12日 / 新聞掲載日:2019年4月12日(第3285号)

対談=立岩真也×天田城介
病・障害から社会を描く
『不如意の身体』『病者障害者の戦後』(青土社)刊行を機に

このエントリーをはてなブックマークに追加
社会学者の立岩真也氏が、『不如意の身体 病障害とある社会』『病者障害者の戦後 生政治史点描』の二冊を上梓した。刊行を機に、社会学者の天田城介氏との対談をお願いした。病・障害というものが、この社会の中でいかに捉えられてきたのか。シンプルに病・障害を考察し、断片に区切られ、部分の中で問われてきた病・障害を、戦後の歴史を振り返る中で、定説とは異なる側面をも提示し、私たちの社会について、多面的な視野を持とうとする。二冊の本をいかに読み、いかに考えるか、現在の社会や社会学の抱える問題まで、様々に語っていただいた。 (編集部)
第1回
社会を構成するものの断絶、境界、区切られ方

天田 城介氏
天田 
 今回、立岩さんは赤と青の本を刊行されましたが、これは二冊で一揃いですね。これはまごうかたなき「社会学」の本であり、それ以外のジャンルではないというのが僕の率直な読後感です。

赤の本、『不如意の身体』には、冒頭に障害と病に関する契機として、身体には(1)機能の差異、(2)姿形・生の様式の違い、(3)苦痛、(4)死、(5)加害性、という五つがあると掲げられ、そこを基点にこの社会がどう描けるかが語られていきます。

立岩さんは、例えば「障害は何か」という問いの立て方はよくないと言う。それでは「障害」のみを取り出すことになり、社会における障害の位置は変わらないままだと。この本を読んで面白かったのは、その疑義からなる、立岩さん独自の「問いの立て方」でした。

青の『病者障害者の戦後』では、国立療養所における〈生政治〉の歴史が語られます。もともと結核やハンセン病の人たちを収容するところから始まった国立療養所は、後に筋ジストロフィーの人や、重度心身障害の人を収容していきます。「隔離」という社会防衛的要素であった国立療養所が、次第に、本人だけでなく、その家族、経営する側、医師・看護師ら専門職など様々な思惑が絡み合う中で、そこに働く人の食い扶持や領分をもめぐり、筋ジスや重心の人びとの空間に変容していく。

その歴史が、どんな言説空間の中にできあがっていったのか。国立療養所をめぐる制度・政策の枠組みの中で、関係者たちはいかなる言説に絡め取られながら、自分たちの生活を守ろうとしたのか。病・障害者をめぐるものの考え方が、日本の戦後において、どういうプラットフォームに乗らざるを得なかったのか。

赤の本で身体に関わる契機・要素の五つから障害や病を考察し、青の本ではそれらを踏まえて歴史の中で、社会との関係を見ていこうとする。この二冊の本は、我々の社会を描き出そうとする構想なのです。

僕が重要だと思うのは、国立療養所の経営側・労働者側からの言説と、かつて療養所で生活していた高野岳志さんや福嶋あき江さんの言説、そして花田春兆さんの言説との間に、溝があり、断絶がある。そして立岩さんがこのまだらな状況に注目し、そこから社会を描き出そうとしたことです。まごうかたなき社会学の本だというのは、そうした間隙や溝や境界が記述されているからです。社会を構成するものの断絶や境界や区切られ方が、これまでの立岩さんにとって大きな関心であり続けている、と僕は思っています。

もう一つ、その断絶した一つ一つの事柄について、申し分なく書かれているところと、もっと書けるのではないかと思う部分があるのですが、後者について立岩さんは、ここは僕はやらないからやれる人が続きを書いてよね、と後を託しています。また、『病者障害者の戦後』は、ほとんど資料は『国立療養所史』だけで書いている。それでもこれぐらいのことは書ける、と言う。その姿勢にも注目しておきたいと思いました。
立岩 
 生命や身体について、ここ何十年か、妙に深淵に語られようとしてきたように思いませんか。それにもそれなりの意味はあったんでしょう。ただ、もっと当たり前のところから考えてみたっていいじゃないかと。死ぬこと、痛いことに、論理なんか通用しない。でもその当たり前のことを確認してみる、そこからだって話はできる、そういう気持ちがありました。

社会についても、生政治とか生権力といった語り方があるけれど、実際の世の中はもっと平凡にできてきたのではないかと思うんです。あるいは生政治・生権力といったもの自体がまずはまったく凡庸なものであると。例えばその場を構成した人びとが、自分の利得のために縄張り争いをしたり、保身に走ったりする中で、陳腐な制度ができあがってしまった、とかね。

つまり簡単な言葉や単純な事柄を、素朴に組み合わせるだけでも、まだ語られていないことがたくさんあるということです。そしてそこから掘り下げて、話すべきこともまだまだあるけれど、とりあえず僕はここまで提示するから、続きは別の人がやってねと。

そういうスタンスからでも、同じように障害者に携わっている人びとや団体の間に、隙間や断絶があって、Aの場にいる人はBが見えないし、Bの場にいる人はAが見えていないということが分かる。AとBが断絶したまま併存するところに、この社会は成り立ってしまっている。そしてこの断絶は、因縁あるいは理由があって、起こってきたことなのだと。その理由を書くために、紙幅を割いたとも言えますね。

僕がよく言うのは、ないより合った方がよいものはまずはあった方がいい。僕のこんな本でもないより合った方がいい。悲しいかな、社会学の現状は、基礎的なものごとについて、書き物が揃っていないのです。
2 3 4 5 6 7
この記事の中でご紹介した本
不如意の身体 -病障害とある社会-/青土社
不如意の身体 -病障害とある社会-
著 者:立岩 真也
出版社:青土社
以下のオンライン書店でご購入できます
病者障害者の戦後 -生政治史点描-/青土社
病者障害者の戦後 -生政治史点描-
著 者:立岩 真也
出版社:青土社
以下のオンライン書店でご購入できます
「病者障害者の戦後 -生政治史点描-」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
天田 城介 氏の関連記事
読書人紙面掲載 特集のその他の記事
読書人紙面掲載 特集をもっと見る >
学問・人文 > 社会学関連記事
社会学の関連記事をもっと見る >