高橋みずほ『フルヘッヘンド』(2006) 駅ごとに二輛電車を行き来する半ば口あく車掌のバッグ|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
更新日:2019年4月23日 / 新聞掲載日:2019年4月19日(第3286号)

駅ごとに二輛電車を行き来する半ば口あく車掌のバッグ
高橋みずほ『フルヘッヘンド』(2006)

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二両しかないのどかなローカル車両なのだろうか。駅ごとに車両の中を車掌が行き来して切符をチェックする。いちいち閉めるのも面倒なのだろう、車掌のバッグはずっと半分だけ口のあいたままだ。とても細かいところを観察したなと思う。乗客もまばらで、のどかで平和な路線だからこそ、車掌も少しばかりずぼらをしてバッグをしっかり閉めなくても許されてしまうゆるい空気感なのか。

しかしここでじっくりと読み直さなくてはならない。よく読むと、「行き来する」主体は車掌ではなくバッグなのである。もちろん車掌が持ち歩いているバッグではあるのだが、意図的に車掌の存在感を消そうとしている。この車掌の顔を想像しようとすると、『銀河鉄道999』の車掌のように顔の見えない存在としてイメージされてしまう。まるで擬人化されたバッグがやや口をあけながら車掌をつとめているようなファンタジックな空想すらしたくなる。しかし、実際自分のことを考えてみても、電車の中で切符を求めてくる車掌の顔なんていちいち見ていない気がする。白い手袋を着けた「手」ならばしばしば印象的だったりするのだが。

以前、駅員などの鉄道職員は平時は「見えない存在」で、その姿を濃く見せるときはすなわち非常事態なのだという歌を紹介した。この歌は逆に、「見えない存在」である平時の鉄道職員にフォーカスを合わせてみたらこう見えてしまったという例なのかもしれない。人間の認知の歪みである。(やまだ・わたる=歌人)
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