人がセックスをやめるとき 書評|ヘンリー・T・グリーリー(東京化学同人)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年4月20日 / 新聞掲載日:2019年4月19日(第3286号)

人がセックスをやめるとき 書評
イージーPGDとは何か
――その科学と倫理――

人がセックスをやめるとき
著 者:ヘンリー・T・グリーリー
翻訳者:石井 哲也
出版社:東京化学同人
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日本で開発されたからであろうか、iPS細胞(人工多能性幹細胞)が話題になり続けている。メディアで取り上げられるときには、その論調はおおむね好意的だ。iPS細胞の応用方法としては、それからつくった細胞をある病気を治療するために移植することなどがよく知られ、期待もされている。

しかしながら最もチャレンジングな応用方法の一つは、iPS細胞から生殖細胞、つまり精子や卵子をつくることである。この技術は「IVG(体外配偶子形成)」と呼ばれることもあり、評者も『ゲノム編集と細胞政治の誕生』(青土社)で、iPS細胞の倫理問題の一つとして少しだけ論じた。たとえば無精子症の男性は、自分の体細胞からiPS細胞をつくり、さらにそれから精子をつくることで、子どもを持つことができるようになるかもしれない。さらにはiPS細胞を経由して、男性由来の卵子や女性由来の精子をつくることができれば、同性愛カップルが子どもを持つことも夢ではない。

本書はスタンフォード大学の法学者・生命倫理学者であるヘンリー・T・グリーリーが、「イージーPGD」と名付けた技術を中心に、人間に応用されるバイオテクノロジー(生命工学)の科学と倫理を考察した書物である。

イージーPGDとは何か? 本書の数少ない短所の一つは、中心的に論じられるこの技術の定義が明確に書かれていないことだ。巻末の「用語解説」では「胚に発生しうる卵子を幹細胞から人工的につくることができるようになったとき、子宮に移植する前に、胚を廉価な全ゲノム解析に供するだろうと考え、筆者〔著者のグリーリー〕が命名したPGDをさす」と説明されている。「PGD(着床前遺伝学的診断)」とは、体外受精でつくった胚を、子宮に移植するべきかを決定するために、遺伝学的に検査することだ。一方、訳者は「訳者まえがき」で、「iPS細胞からつくった人工配偶子を使う生殖医療」と簡潔に定義しているが、こちらも不十分だ。その「生殖医療」には「遺伝子解析、おそらくは全ゲノムシークエンス(塩基配列決定)による着床前遺伝学的診断」が含まれることがわかるようにしたほうがいいだろう。イージーPGDとは、ようするに「IVG+PGD」なのだ(正確に書こうとすればするほど簡潔には表現できなくなる、という訳者の苦労はもちろん理解しているつもりである。著者の努力はやや足らない)。

本書は三部で構成されている。第Ⅰ部では、イージーPGDの背景となる科学が、細胞や遺伝子など基本的な事柄から近年の遺伝子検査や幹細胞まで丁寧に解説される。かなり詳しくてページ数も多いのだが、じっくりと読めば、生物学や医学を専門的に学んでいない読者も、本格的な議論の準備をできる(生殖技術やゲノム科学全般を学ぶこともできることは本書の長所である)。第Ⅱ部では、著者が「将来ヒト生殖に広く使われるであろう」と予測するイージーPGDが、実際に登場する道筋として、科学や経済、政治の状況が解説される。第Ⅲ部では、イージーPGDの意味合い、とくに安全性や家族関係にもたらす影響など問題点が指摘される。最後に著者なりの結論・意見が述べられるのだが、控えめで押し付けがましくはない。本書全体を通して、著者個人の意見よりも、読者一人ひとりが考察するための材料が提示されている。

本稿を書いている現在、人間に応用されるバイオテクノロジーのなかで、倫理的問題が最も激しく議論されているのは遺伝性ゲノム編集(生殖細胞系ゲノム編集)であって、イージーPGDではない。著者は、ゲノム編集という問題は本書執筆中に浮上してきたと述べ、イージーPGDとの関連を少しだけ論じている。本書は、遺伝性ゲノム編集の陰で、やや目立たない印象もあるイージーPGDというテーマに注意を促す役割も持っている。先述の拙著など、遺伝性ゲノム編集を中心的に論じた本と合わせて読むと、相補的に理解が進むだろう。

本文は二段組で三〇〇ページ近くもあるが、内容が興味深く、一気に読み通すことができる。巻末には注釈と用語解説、索引がついていて、読解に役立つ(とくに用語解説がありがたい)。本文中には、訳者による訳注が加えられており、これもたいへん有益だ。欲をいえば、図版が欲しいところである。
この記事の中でご紹介した本
人がセックスをやめるとき/東京化学同人
人がセックスをやめるとき
著 者:ヘンリー・T・グリーリー
翻訳者:石井 哲也
出版社:東京化学同人
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