呪い釘 書評|宇江 敏勝(新宿書房 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年4月20日 / 新聞掲載日:2019年4月19日(第3286号)

呪い釘 書評
生きる歓びに満ちた世界
山びとたちの暮らし、熊野方言の心地よい響き

呪い釘
著 者:宇江 敏勝
出版社:新宿書房
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呪い釘(宇江 敏勝)新宿書房
呪い釘
宇江 敏勝
新宿書房
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本書は「民俗伝奇小説集」と銘打たれて、短篇小説が四篇収められている。一九三七年生れの著者は、南紀熊野の山小屋に居住して炭焼きをしたり、森林組合で林業労働に携わったりした経歴を持ち、現在も熊野古道の通る田辺市の中辺路町に暮らしている。職歴については、著者による中公新書『山びとの記』に詳しい。炭焼きの場合、原木をとる権利を山林所有者から購入し、炭窯と作業場、さらに住居の小屋を作る。著者自身、幼少期をその小屋で過ごし、高校卒業後は父親とともに炭焼きとして働いたという。

「山びと」には他に、植林して木を育てるひとや、伐採した材木を川で流す筏師、狭い山道で荷物を運ぶ荷持ちなどがいる。轆轤を用いて木工品を作りながら山中を移住する木地師もそうである。川魚を獲り竹細工もする漂泊民である山窩、ここではカメツリと呼ばれるが、彼らも「山びと」だろう。著者は、自らの山びととしての暮らしや、身近な山びとたちの習俗をめぐる豊富な知見を題材に、これらの小説を書き上げるのである。

「藤織りの女」という短篇は、藤蔓から採った繊維で織物を織る女、ヤスヨが主人公である。舞台は、小辺路とも称される高野熊野街道沿いの山の村だが、そこに他所から馬ひきの男ふたりがやって来た。彼らは村では入手するのが大変な米や酒、醤油、味噌などを高野山から馬に載せて運んでくる。またそれまで牛が鋤いていた田を馬にやらせて手早く仕事を終わらせたりする。ヤスヨは、ふたりのうちの若い男清吉と恋仲になり、やがて結ばれるのを告げて物語は終わる。

標題作の「呪い釘」は、まさに民俗伝奇小説と呼ぶに相応しい主題を持つ。九十九王子のひとつ湯川王子社の後ろの杉に五寸釘が打たれていた。どうやらシズヨという女が、亭主と駆け落ちした若い女を呪っての仕業らしい。物語は明治末年のことだが、例の神社合祀令の余波で、湯川王子社の鎮守の森を伐採しようという話となった。「わしは恐ろしゅうてよう伐らんど」。村の者は祟りが怖いので、伊勢などから他所者の職人が来た。作業の途中に杉の大木に古い釘が何本もあるのがわかり、鋸が使えなくなった。その時、「シズヨが熊野川にとび込んで死んだんやとう」という知らせが入る。そんな具合で、この標題作だけは悲劇として終わるが、他の短篇はどれも鄙びた味わいの、いわば人間愛に溢れた物語、と言っていいだろう。時代背景は明治から大正が主だが、それは戦後になると山びとたちの民俗や伝統が保全されなくなったためである。限界集落が問題になって久しいが、熊野でも消滅した村や里も多いという。しかし、スマートフォンやパソコンはおろか、車も電気もない時代のこの熊野の山中にこそ、日々の暮らしを孜々と送る山びとたちの、貧しくても苦労が多くても生きる歓びに満ちた世界が存在したのである。人物たちは全員、それこそ善男善女、わたしは本書を一種のユートピア小説として読んだ、と告白しておこう。

「どこへ行っとったんなよう。心配しとったんやで」、「いまどき珍しいはなしやのら」、「あいたは弁当こさえてくれ」、「ほんなら、もう去ぬだけやの」。任意に引いてみたが、こうしたのんびりとした熊野方言の響きも心地よい。また著者の文体は、簡素でありながら描写の精確さが際立ち、一種モダンな味わいもある。富士正晴らが創刊した老舗文芸誌「VIKING」の同人として研鑽を積んだ成果でもあろう。

最後に妄想を加えたい。短篇「小和瀬の渡し」は、京都から西国三十三所の巡礼に那智山まで参りにきて病いに倒れ、そのまま中辺路の宿屋を手伝うことになったナオエが主人公である。眼病を患っているためやはり西国巡礼をしたいというので、滞在中に恋仲となったカメツリ出身の磯次と一緒に旅立つシーンで終るのだが、控えめながら教養もあり背が高い、とされるナオエにはモデルがいるのではないだろうか。宇江の新宿書房からの著書を二十数年間で二十六冊も手掛けた編集者の室野井洋子である。室野井は、整体師でダンサーでもあったが、二〇一七年の七月三日に亡くなっている。遺稿集『ダンサーは消える』を本紙でわたしが書評したという所縁があるが、この短篇は二〇一八年八月号の「VIKING」に発表された。熊野には何度も来たという室野井の姿を思い浮かべながら、宇江はペンを執ったと思えてならない。
この記事の中でご紹介した本
呪い釘/新宿書房
呪い釘
著 者:宇江 敏勝
出版社:新宿書房
以下のオンライン書店でご購入できます
「呪い釘」出版社のホームページはこちら
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