小林秀雄の悲哀 書評|橋爪 大三郎(講談社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年4月20日 / 新聞掲載日:2019年4月19日(第3286号)

小林秀雄の悲哀 書評
「直感」の「限界」について
小林秀雄の言葉を〝小林神話〟から救い出す 

小林秀雄の悲哀
著 者:橋爪 大三郎
出版社:講談社
このエントリーをはてなブックマークに追加
小林秀雄の悲哀(橋爪 大三郎)講談社
小林秀雄の悲哀
橋爪 大三郎
講談社
  • オンライン書店で買う
普通なら交わらないはずの知性が、しかし、交わることによって生み出される知的緊張と興奮、それがまず、本書を手にしたときに感じられる確実な手応えだろう。

もちろん、それは、日本最大の文芸批評家である小林秀雄のライフワーク『本居宣長』を、透徹した社会理論家である橋爪大三郎氏が、本気で相手取ったところに齎される感覚である。そこに示されるのは、ベルグソン譲りの「直感」と、ウィトゲンシュタイン譲りの「分析」とがぶつかり合う姿であり、そこに浮かび上がる本居宣長『古事記伝』の真の射程であり、また、それを捉え切れなかった小林秀雄の「悲哀」(限界)の姿である。橋爪氏は言う、「直感」では辿りつけない領域にまで「直感」で辿り着こうとすることの無謀さ、そこにこそ、小林秀雄による宣長論の挫折と失敗、その悲哀の理由があったのではないかと。

なるほど、小林自身は「作者の肉声を聞く」ことによって、強張った皇国イデオロギー(政治)から、本居宣長本来の柔かさ(文学)を救い出し、自らの「批評」の起源にある姿を、つまり、伝統を味わい、それを生きる文学者の姿を定着したかったのかもしれない。

が、それが間違いだった。宣長の仕事の中心にある『古事記伝』には、良くも悪くも皇国イデオロギーを可能にしてしまうカラクリ――つまり、普遍的で実証的な方法によって、日本人の特殊で情緒的なナショナリティを定義するという試み――が天才的に仕掛けられていたのであり、それこそが宣長国学の中心的革命性だったのである。とすれば、『古事記伝』を避けて書かれた小林の宣長論は、やはり失敗作だったと言うべきではないのか。橋爪氏は、本の前半部(二章~五章)において、小林秀雄の宣長論の盲点を徹底的に洗い出しながら、その後半部(六章)においては逆に、小林の「内部」の視覚から消え去ってしまった、その「外部」の視点を拾い上げ、そこから改めて本居宣長に切り込んでいくだろう。

そこで明らかにされるのは、例えば「江戸思想」と「国学」と「近代日本」とを結ぶ系譜学である。普遍的宇宙論(形而上学)として幕府に採用された朱子学は、しかし、次第に身分制を伴う幕藩体制との間にギャップを生じ、そのズレのなかに伊藤仁斎や荻生徂徠の朱子学批判(古学)の流れを生み出していく。が、それによって逆に、森羅万象を説明し得る宇宙論を失った江戸思想は、その「形而上学的な空白」を埋めるために、後に「国学」を呼び出すことになるだろう。それが、まさに、古学由来の実証主義(文献学)による形而上学(宗教)の立ち上げという、前代未聞の宣長の仕事を支えた歴史的条件だった。

実際、『古事記伝』の主な作業は、変格漢文で記された『古事記』から、その漢文訓読を取り除き、その「漢意」を濾過した先に原日本人の口誦言語(カミガミの古言)を実証的に復元することだった。が、そこから更に宣長は、その「古言」が今に伝わる日本の特殊性を優越性に転化することによって、「日本中心主義」をも完成させることになるだろう。それは後に、「天皇」を介して後期水戸学(儒教的政治論)へと繋がり、近代日本のナショナリズムを、そして、昭和戦中期の皇国イデオロギーをも用意することになるのである。

では、これらの論点の一切を拾えていない小林秀雄の『本居宣長』は、全く意味のない仕事だったのだろうか。私は、そうは思わない。橋爪氏も認めるように、小林の宣長論がその真価を発揮するのは、やはり、宣長の「もののあはれ論」(短歌論・源氏論)、つまり、その文学論に対してなのだ。その点、古言をミメーシスすることへの情熱が宣長の学問を動機づけ、駆動していることを感じ取るには、今も、小林秀雄の『本居宣長』は必要である。
が、それなら本書は、小林の言葉を小林神話(批評の神様)から救い出し、『本居宣長』という本を、その本来の場所――つまり、文学論へと差し戻すためにこそ書かれたと言えはしまいか。本書が偶像破壊の嫌らしさと無縁であるのも、そのためだと考えられる。
この記事の中でご紹介した本
小林秀雄の悲哀/講談社
小林秀雄の悲哀
著 者:橋爪 大三郎
出版社:講談社
以下のオンライン書店でご購入できます
「小林秀雄の悲哀」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
橋爪 大三郎 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
社会・政治 > 社会全般関連記事
社会全般の関連記事をもっと見る >