「平成の三冊」時代を、私を形成した本 31人へのアンケート|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年4月19日 / 新聞掲載日:2019年4月19日(第3286号)

「平成の三冊」時代を、私を形成した本 31人へのアンケート

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まもなく平成が終わります。「失われた三〇年」と括られてしまう平成期を、私たちは過ごしてきました。三〇年――短くはない時間です。作家、評論家、ライター、研究者など、出版や本の世界に密接に携わっている三十一人の方々に、それぞれにとっての「平成の三冊」(平成期に刊行された名著、影響を受けた本)を挙げていただきました。名著の振り返りはもちろん、その本が刊行された時代のことや、自分のことを思い返す時間にもなれば、と思います。どうぞお楽しみください。(編集部)
第1回
雨宮 処凛

発売当時ベストセラーとなった鶴見済『完全自殺マニュアル』(太田出版、1993年)。自殺の方法よりも、まえがきやあとがきに描かれる「生きづらさ」の問題は、刊行から26年経った今も色褪せないどころか、現代の日本で広く共有され、一般化している。

一般化という意味では、1998年に出版された小林よしのり『戦争論 新・ゴーマニズム宣言SPECIAL』(幻冬舎)も平成を象徴する一冊だ。

「大東亜戦争」を肯定的に描いた本作は、今に連なる「歴史修正主義」を代表する一冊で、ロスジェネである私にとって『ゴーマニズム宣言』、そして『戦争論』は「初めての政治体験」だった。20代前半で『戦争論』の洗礼を受けた世代は今や40代。『戦争論』的歴史観は広く共有されてしまっている。最近、ヘイトの問題に取り組む文化人が「『戦争論』の時に黙っていたことを反省している」と述べるのを聞いて、「あえて黙っていたのか」と衝撃を受けた。あまりにもバカバカしいからと反論を放置しているうちに、フェイクは真実味を帯びてしまった。

倉橋耕平『歴史修正主義とサブカルチャー』(青弓社、2018年)は、そんな90年代からの右傾化を、『戦争論』などから読み解く一冊だ。自分がいかにして右傾化の渦中にいたのか、まるで推理小説のような展開に何もかも忘れて没頭した。私にとってはこの三冊が平成の三冊である。(あまみや・かりん=作家・活動家)

伊藤 比呂美

神風連とその時代(渡辺 京二)洋泉社
神風連とその時代
渡辺 京二
洋泉社
  • オンライン書店で買う
渡辺京二『神風連とその時代』(洋泉社、2011年/初版:葦書房、1977年)

柏木如亭『訳注聯珠詩格』(揖斐高校注、岩波文庫、2008年)

山浦玄嗣『ケセン語訳新約聖書』(E―PIX、2002年)

一択とか二択とか三択とか、男とかアイスクリームとかでも苦手なんです。それでたまたま、早稲田の自分の研究室にある本の中から、日本、アメリカ、また日本、熊本、東京とずっと持ち歩いているもの、フセンがいっぱいついているものを3冊書き出しました。『文語訳新約聖書 岩波文庫版』(鈴木範久解説)、石牟礼道子『アニマの鳥』(筑摩書房)、町田康「宇治拾遺物語(『日本文学全集08』河出書房新社)の翻訳、一ノ関圭『鼻紙写楽』(小学館)、小林まこと「劇画・長谷川伸シリーズ」(講談社)、長島要一『森鷗外 文化の翻訳者』(岩波新書)、野田サトル『ゴールデンカムイ』(集英社)、宮崎駿『風の谷のナウシカ』(徳間書店)、荒川弘『鋼の錬金術師』(スクウェア・エニックス)などもあげたいが、研究室になかった。外に出て行く、境界を押し広げる、アノニマス……そういうのが好きなんです。漫画は存在じたいアノニマスだし、渡辺京二や石牟礼道子、森鷗外もアノニマスといえばアノニマスですよ、たぶん。(いとう・ひろみ=詩人)

大澤 聡

虚構の時代の果て(大澤 真幸)
虚構の時代の果て
大澤 真幸
  • オンライン書店で買う
①大澤真幸『虚構の時代の果て』(ちくま新書、1996年)
②東浩紀『動物化するポストモダン』(講談社現代新書、2001年)
③古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社、2011年)

たまには和暦のほうをディケイドで区切ってみて、順に、平成一桁、平成一〇年代、平成二〇年代から一点ずつ選出した。どれも時代精神をクリアに切りとった社会/文化批評の成果だ。平成期を知るうえで必須のアイテムとなる。そう思って読みなおしていると、①は「地下鉄サリン事件」を受けて書かれその一年半後に、②は偶然「アメリカ同時多発テロ」から二か月後に、③は執筆中に「東日本大震災」が発生しその半年後に……とそれぞれ社会のターニングポイントとされる大きな出来事のすぐあとに刊行されていた事実に気がつく。といっても、平成期にはいくつもの転換点が存在したし、「すぐあと」にも幅があるものだから、どんな作品でもそれに該当してしまうのだけれど。

①は「オウムが[…]私自身もそうでありうる可能性を示している」という自覚のもと書き進められ、③は「違う世界では「僕」が引き受けなければならなかった役割を、この世界で引き受けてしまった「誰か」」への想像力に支えられ書かれている。そして、②はしめくくりに「並列世界」のあいだを往復しながらプレイが進むゲームを紹介している。こうした可能世界的な想像力はとりわけ震災以後、現実世界の多くの人間が共有し、フィクションの世界でも頻繁にモチーフ化された。三冊はそれを先取りしている。〝おおいにありえた別の自分〟がテクノロジーによって過剰に可視化され、その分身のごとき可能態をたえず意識しながら生きることを強いる、そんな時代が平成だった。(おおさわ・さとし=メディア史研究者)

奥野 克巳

平成の中央の三年間(一三~一五年)の大学での講義録に基づく、①中沢新一『カイエ・ソバージュ』(講談社、2010年)は、日本列島の土着民にのみ限局された平成という時代を易々と踰越して、人類史を一望の下に捉えようとする巍然たる星雲状の思想である。「宗教」と「科学」という先行する人類の二大革命を経て、来たるべき「第三次形而上革命」へと向かう過渡期の人類に到る思考の全領域に迫る「野放図な思考の散策」と名づけられた試みに、智者達が取り組む機が熟するのは未だ先のことなのかも知れない。だが、その革命に向けた思索は着実に進められている。②『森は考える』(奥野克巳・近藤宏他訳、亜紀書房、2016年)でエドゥアルド・コーンは森が考えると想像してみよとけしかけて、人間だけが思考すると捉える「思考の植民地化」から脱する地平を拓こうとする。とは言え、人類の抱える絶対矛盾が肥大化した平成の時代に、一層鋭く深く荒々しく人間に斬り込んだのは、総じて文学だったのではないか。③吉村萬壱『虚ろまんてぃっく』(文藝春秋、2015年)で描きだされる、セックスと暴力にまみれた人間のぎりぎりの際の姿を鏡として、我らが種の醜怪さを、固唾を呑んで盗み見ることになるのだ。(おくの・かつみ=立教大学教授・人類学)

桂川 潤

(一)今福龍太『身体としての書物』(東京外国語大学出版会、2009年)

(二)リュドミラ・ウリツカヤ『通訳ダニエル・シュタイン 上・下』(前田和泉訳、新潮社、2009年)

(三)スベトラーナ・アレクシエービッチ『チェルノブイリの祈り』(松本妙子訳、岩波書店、1998年)

元号で時代を画する政治的意味はさておき、振り返ると〈平成〉期は、ベルリンの壁崩壊で始まり、大規模テロ、自然災害、原発事故、経済危機が打ち続いた時代の転機だった。出版関連でも、かろうじて現役だった活版印刷が廃れ、写植→DTP→インターネットと凄まじい速さでインフラが代替わりした。年間の三冊を選ぶことさえ難しいのに「三〇年の三冊」は無茶振りというしかないが、時代の記憶と絡めて印象に残っている本といえば、

(一)は電子化の流れも見据えつつ、書物と読書の本質を照射した論考。すぐれた書物は年月を経るほどに深みを増す。

(二)は断片的な書簡や証言をたどり、つなぎあわせていく中で、激動の歴史と、そのあわいに生きたひとりの人間が浮かび上がる大作。当初ノンフィクションとして構想されただけに、小説とはいえ息詰まるようなリアリティだ。精緻きわまる構成だけでなく、深いメッセージにうたれる。

(三)もドキュメンタリー文学として書かれ、ノーベル文学賞受賞に至った渾身の作。チェルノブイリの悲劇は九一年のソビエト連邦崩壊を招いたが、福島原発事故も「アンダーコントロール」どころか、いまだ根本的な解決をみていない。(かつらがわ・じゅん=装幀家)
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