「平成の三冊」時代を、私を形成した本 31人へのアンケート|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年4月19日 / 新聞掲載日:2019年4月19日(第3286号)

「平成の三冊」時代を、私を形成した本 31人へのアンケート

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第4回
先崎 彰容

戦後的思考(加藤 典洋)講談社
戦後的思考
加藤 典洋
講談社
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加藤典洋『戦後的思考』(講談社、1999年)

坂本多加雄『近代日本精神史論』(講談社学術文庫、1996年)

江藤淳『妻と私』(文藝春秋、1999年)

選んでみたら、いつの間にか三冊とも平成初期、一九九〇年代後半の作品になってしまった。私事で恐縮だが、平成七年に大学に入り、本格的な読書をはじめた頃なので、きっと印象が深いのだろう。加藤典洋氏の著作は、もちろん『敗戦後論』の方が著名だろうが、評者はこちらの作品に、より深い感銘を受けた。アーレントとじっくり格闘する文体に迫力があったし、何より三島由紀夫の天皇と戦後の関係を、とても斬新な斬り口で教えてくれた本である。同時期、研究者を目指して、それこそ一行一句、舐めるように読んだのが、坂本多加雄の本。夥しい情報量を前に、二〇代前半の勢いに任せて、ぐんぐん吸収しようとしていた野心が懐かしい。うなされるような読書体験を教えてくれた近代日本思想史の金字塔。最後に挙げたいのが、江藤淳『妻と私』だ。江藤が平成十一年に自裁してから、今年は二〇年の節目の年である。大学図書館の片隅で、この書をきっかけに江藤の著作のほとんどを読み漁った。三冊に共通しているのは、日本の近代化への執拗なまでの問い直しである。以来、筆者もまた、同じ問題関心に取り組んでいるところだ。(せんざき・あきなか=日本大学教授・日本思想史)

タカザワケンジ

ひろしま(石内 都)集英社
ひろしま
石内 都
集英社
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①佐内正史『生きている』(青幻舎、1997年)

②石内都『ひろしま』(集英社、2008年)

③志賀理江子『螺旋海岸』(赤々舎、2013年)

平成元年は写真術誕生一五〇年にあたり雑誌で頻繁に写真特集が組まれた。私が写真に興味を持ったのもその頃で、荒木経惟、篠山紀信のツートップに復活の森山大道、という時代である。同時に九十年代写真ブームもあり、ホンマタカシ、長島有里枝、金村修らの作品に刺激を受けた。なかでも思い入れがあるのが①で、意味のない日常が写真によって異様な迫力を持つことを教えられた。そして、そこに写っているモノから何を読み取ればいいのかに戸惑いつつも、生理的なレベルで共感している自分がいた。②は広島への原爆投下という歴史的事実を現代において写真でどう表現するのか、という問いへの一つの答えとして鮮烈だった。被爆した方たちの遺品は、被爆という被害のみならず、かつてそのモノたちが生き生きと輝いていた記憶を想起させる。そのとき、それまでフィクションや記録写真では味わえなかった痛切さを感じた。③は作家が宮城県の海岸沿いに住み込んで、地元の人たちの協力を受けながら制作された演出写真。作家とその町が被災したことで作品内容も大きな影響を受けざるを得なかった。写真は何を描き、何を残すことができるのか。そんな問いに見る者を巻き込んでいく傑作だ。(たかざわ・けんじ=写真批評)

高田 昌幸

①加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社、2009年)

②NHK「東海村臨界事故」取材班『朽ちていった命 被曝治療83日間の記録』(新潮文庫、2006年/初版:岩波書店、2002年)

③森達也『A3』(集英社インターナショナル、2010年)

過去の歴史を軽んじ、社会の複雑さ・多様性を直視しない人々の台頭。それが平成時代の大きな特徴だった。ネット時代のせいかどうかといった解釈はさておき、「歴史」と「複雑さ・多様性」を知る3冊を選んだ。

①は、まさに平成から昭和を見据えた名著。平易で分かりやすい記述、ダイナミックな展開で読み手を飽きさせない。高校生や大学生の必読、熟読の1冊である。本書に記されたような歴史を最低限の知識として有しているか否かによって、現代を見据える視座も変わる。

②は、1999年に起きた茨城県東海村の臨界事故を扱ったドキュメンタリー。NHKの番組も優れていたが、書籍にはそれに劣らぬ迫力がある。「読むことがつらい」と心底思う本は滅多にあるものではない。臨海事故から今年で20年になるが、本書を読めば、福島原発の事故は「20年前の想定外」と地続きだったことが分かる。

③はオウム真理教事件を追った『A』『A2』の続編。「異端」を見つけては排除し、集団化へひた走る日本。その恐ろしさと行く末に慄然とせざるを得ない。「メディアとは何か」の問いにどう答えるべきか。ありきたりのメディア論などの追随を許さない本書は、平成の終わりに読むにふさわしい。(たかだ・まさゆき=東京都市大学教授・ジャーナリスト)

竹内 洋

コンビニ人間(村田 沙耶香 )文藝春秋
コンビニ人間
村田 沙耶香
文藝春秋
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村田沙耶香『コンビニ人間』(文藝春秋、2016年)

昭和人間は機械や組織の歯車になることを呪った。しかし、コンビニ人間は歯車になりきり、普通の人間を演じることで正常を保つ。平成の気分の極北を描いた傑作。

佐藤卓己『八月十五日の神話』(ちくま新書、2005年)

八月十五日になると、メディアはそろって終戦記念日の特集を組む。八月十五日ジャーナリズムである。しかし、この八月十五日=終戦記念日がメディアの中でつくられ、受容されたさまを再現する。記憶の五十五年(昭和)体制を暴いた名著。

井上義和『未来の戦死に向き合うためのノート』(創元社、2019年)

著者からこの本のタイトルを聞いたとき、「ノート」という言葉に引っかかった。せっかく単行本にするのに、「ノート」はと。しかし、読み進むと、論争ただならぬ戦争と平和問題の丁寧な論点整理をし、議論の方向性を提示する仕掛けだったことに思いいたる。さまざまな立場の読者を土俵にあげ、思考に参加させる柔らかで間口の広い語り口は、今後の著作物のありうべき方向性をも示唆している。平成の掉尾を飾るにふさわしい書。(たけうち・よう=京都大学名誉教授・教育社会学・歴史社会学)

武田 徹

歴史とは連続体であり、元号で括れるものではない。だが平成の終りにひとつの時代性をそこに見たくなる誘惑を感じるのは我が〝内なる象徴天皇制〟の仕業か。戸惑いつつも平成を象徴すると感じられる三冊を選んでみた。

まず島田裕巳『オウム真理教事件 Ⅰ・Ⅱ』(トランスビュー、2012年)。サリン事件後、犯罪集団のシンパと誤解されて激しく非難された著者が、オウムとはなんだったのか深く省察した。私たちは孤独に耐えなくてはならないというメッセージが心に刺さる。

猟奇的事件が平成に特に多かったわけではないが、情報社会化がそれを過剰に意識させたのは事実だろう。元少年A『絶歌』(太田出版、2015年)は連続少年少女殺傷事件を起こした当時14歳の加害者が18年後に刊行した手記。自伝信じるべからずの原則は守りつつも「彼」が見て来た平成の風景を確認する手がかりにはなるだろう。

平成最大の災害となった東日本大震災は、日本社会がそれまで潜ませていた加虐指向や差別意識などを増幅し、表面化させた。開沼博『「フクシマ」論』(青土社、2011年)は原発を僻地に押しつけて安穏と暮らしてきた事故前の日本社会の姿を記録する。そこで描かれた過去像を真摯に踏まえず3・11後の未来の設計はできないと肝に銘じたい。(たけだ・とおる=専修大学教授・ジャーナリスト・評論家)
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