ヤンキーと地元 書評|打越 正行(筑摩書房 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年5月4日 / 新聞掲載日:2019年5月3日(第3287号)

ヤンキーと地元 書評
万人に開かれ、誰もが問いを育て得る良書
地を這うような質的調査で得た知見の結晶

ヤンキーと地元
著 者:打越 正行
出版社:筑摩書房
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本書の題名のみを耳にして、佐藤郁哉『暴走族のエスノグラフィー』(新曜社)の焼き直しと、高を括っていた私は、本書のページを繰るにつれ裏切られた。個人的な感想で恐縮だが、シカゴ社会学の諸研究と出会った時に知覚した興奮を思い出す一冊である。

この本は、最近の研究者が忌避する野良仕事を、十年間継続的に行って結実した果実であり、社会学者が地を這うような質的調査で得た知見の結晶である。本書の背後にある膨大な時間と、分厚いノーツの存在が、同業の私には見て取れる。

故郷・沖縄を否定的に捉える拓哉の言葉から生じた疑問が本書の出発点である。著者は「彼はどんな仕事をし、どんな毎日を過ごしているのか……を理解したい」と希求した。そして、沖縄の地元ヤンキーたちが「沖縄という地で、どのように生きてきたのか、生きようとしているのかを描くため」毎晩のように(若者のホット・スポットである)ゴーパチに通い詰め、彼らの職場で解体業を実体験するなど、様々なハードルをクリアして編んだものである。筆者の意思力、忍耐力、継続力、そして、どのような場面でも対象社会を精緻に観察する姿勢は「ズボンの尻を汚す」フィールド研究者として学びが尽きない。

異人として、異文化のなかを彷徨し、暴走族のパシリとしてフィールドに入ったものの、からかわれたり、ギャンブルで散財したり、様々な経験を重ねながら調査対象とのラポールを構築していく過程が興味深い。彼らのサブカルチャーに入り込むだけでなく、新参者という立場から、バイクや暴走行為を撮影し、若者の近況を伝える「伝書鳩」のごとき役割を獲得するまでの道程は、並大抵の努力ではなかったはずである。

私も、暴力団研究のフィールドである大阪のキリスト教会で調査を行った際、同様の経験をした。それはたとえば、早朝の清掃や信徒さんの生活支援などの下積みである。さらに、調査対象者からイジメらしきものを受けながらも必死で調査地点にしがみついた。数か月経過した頃、重度の肝炎を患った元暴幹部の介護をしたことで、調査地点における信頼関係の基礎が確立し、調査は進捗をみた。

本書の調査過程でも確認できるが、調査地点で異文化の案内人である複数のインフォーマントを得、彼らを起点にして雪ダルマ式に人脈を拡げたことが、研究の継続と深耕を可能としている。

異文化における調査対象者とは、互いに手を触れることができるが、彼我の文化的距離は計り知れず、文化的な接触は難しい。したがって、異人である調査者は、対象者からの歩み寄りに期待することはできない。彼らを知るためには、調査者自身が道なき道を切り拓き、対象者との文化的距離を縮める努力が必要である。

本書は、上間陽子氏の『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版)と同様、現代社会の表層に敷かれた絨毯をめくり、ややショッキングであるが人間臭い地域社会を見せてくれる。そこでは、世代間秩序によって正当化される暴力や支配、様々な関係性による搾取の構図といった沖縄社会のリアルを目の当たりにする。そうした知見が活字となり、社会で共有され、読者が問いを育てることに意味がある。そうであるなら、書籍が読者を選んではいけない。専門知識の有無にかかわらず、誰もがアクセスできる書籍でなければならない。本書は現代社会病理のリアルを読者に突き付けるとともに、万人に開かれ、誰もが問いを育て得る良書といえる。
この記事の中でご紹介した本
ヤンキーと地元/筑摩書房
ヤンキーと地元
著 者:打越 正行
出版社:筑摩書房
以下のオンライン書店でご購入できます
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