逸脱する批評―寺山修司・埴谷雄高・中井英夫・吉本隆明たちの傍らで 書評|斎藤 慎爾( コールサック社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年5月3日 / 新聞掲載日:2019年5月3日(第3287号)

時代の無意識とともに歩む
俳句のポエジーと鋭い批評を宿す一級の文章

逸脱する批評―寺山修司・埴谷雄高・中井英夫・吉本隆明たちの傍らで
著 者:斎藤 慎爾
出版社: コールサック社
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「深夜叢書」とは、第二次大戦中のフランスのパルチザンたちが出版した書物である。若き日の齋藤愼爾は、いちはやくこのアンダーグラウンドの社名をつけた。以来、この社名は、本書の『逸脱する批評』の副題「寺山修司・埴谷雄高・中井英夫・吉本隆明たちの傍らで」とあるように、寺山修司や埴谷雄高や吉本隆明などの名前とともに、広く行き渡る。

しかし、「深夜叢書」は、著者の書く行為とともにあった。齋藤愼爾という固有名は、「責任編集」の名辞とともに「深夜叢書」の出版に関わる名をとどめるに違いない。さらには、著者の文学への情熱と広い視野による文学行為そのものが、俳句から美空ひばり論や書評と解説を書く批評によって認められることだろう。

齋藤愼爾とは、書き手に尊敬される最後の出版人のひとりである。編集者が若くなるに従い、往年の出版と編集もあらたな時代をむかえている。書き手に尊敬され、自らも一級の文章をつづる編集者の存在によって、出版は維持されてきた。

東北の山形の雪のイメージが、書くものの詩的イメージとつながる。深い感想と鋭い批評がある。芭蕉のような切れ味のある文章は、俳句のポエジーが乗り移った文体だ。『埴谷雄高・吉本隆明の世界』も、両者の断絶以後の責任編集である。ふたりから、ともに尊敬されていた。「吉本隆明をしのぶ会」では、寡黙な齋藤愼爾の横顔が、しずかによみがえってくる。

『逸脱する批評』で語られる作家と作品は、四章に渡って鮮やかで味わいのある具体的な文章からなる。大岡昇平や埴谷雄高や五木寛之や倉橋由美子の紹介など、時代観のある重厚な批評の光が当てられる。特に、編集と出版の現場から見えてくるものは、純文学から大衆文学へと移行する変化であろう。サブカルチャーへの変化の時代に、純文学は大衆小説や時代小説、推理小説、幻想小説の時代に直面した。著者は、純文学や現代詩をとりまく出来事から、大衆小説や隠れた作家の作品群を綿密に編集して像立を果たす。漫画の手塚治虫や歴史小説の山本周五郎や女性作家たちの作品、「殺人事件」シリーズの俳句、短歌、現代詩、スポーツのテーマ・ミステリーの迷宮には、これらの解説や梗概が巻末を飾った。ひとりの出版人の書いたものが、弧を描くように時代のクロニクルを透視する。アングラから出発した齋藤愼爾という現場主義の裏面史が、大きく浮かび上がる。

文学を友とし、文学を現場とし、文学を綴り、文学を出版する。純文学から大衆小説へ、さらにはミステリーへと文学概念の拡大統合をはかる。そこに、逸脱する批評があった。開かれた逸脱こそ、時代の無意識とともに歩む読者論的な行為である。

本著は、「コールサック(石炭袋)」によってまとめられた、出版文化の歴史の証人者である齋藤愼爾の魂が詳説する、現代文学の再読と読み直しをせまってやまない一冊である。
この記事の中でご紹介した本
逸脱する批評―寺山修司・埴谷雄高・中井英夫・吉本隆明たちの傍らで/ コールサック社
逸脱する批評―寺山修司・埴谷雄高・中井英夫・吉本隆明たちの傍らで
著 者:斎藤 慎爾
出版社: コールサック社
以下のオンライン書店でご購入できます
「逸脱する批評―寺山修司・埴谷雄高・中井英夫・吉本隆明たちの傍らで」出版社のホームページはこちら
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