東畑開人×高野秀行 公開トークイベント載録 〝イルツラ〟沖縄・デイケア施設でケアとセラピーについて考えたこと 『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』(医学書院)刊行記念|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年4月26日 / 新聞掲載日:2019年5月3日(第3287号)

東畑開人×高野秀行 公開トークイベント載録
〝イルツラ〟沖縄・デイケア施設でケアとセラピーについて考えたこと
『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』(医学書院)刊行記念

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第6回
心と気/セラピーは人生、ケアは生活

高野 
 僕がどこかに行っていろんな話を書くと、よくこんな話を聞き出してきますねと言われるんですが、実際には世界中どこに行ってもどんな人たちもみんな自分の話を聞いてもらいたがるんです。だから聞き出すまでもなくて、ちょっと道を作ってあげれば後は勝手に怒涛のごとく流れてくる。むしろ止められなくていつまでも聞いてて辛い思いしたりとかしてるんですけど、それは何なのかというと、やっぱり人間っていうのは自分のことを話さないではいられない、そういう本質的なものがある。この本を読んでもすごく思うのですが、流れが必要なんです。病気の人というのはうまく流れてない感じがする。福岡伸一さんが「動的平衡」ということを言っていますが、生物というのは細胞レベルではどんどん変化していて一年経つと同じ人間でも細胞はほとんど入れ替わっている。そうすることによって個体とか種自体を長生きさせるということなのですが、心もそうなんじゃないかと。「動的平衡」みたいなものが必ず必要なんじゃないかと思うわけです。何か思いがあるとその思いがどんどん分解して腐っていく。あるいは傷んでくる。それは外にどんどん出していって新しいものを入れていかないといけないんじゃないか。そういうことに対して昔から各地でいろんな呼び方があって、一つには「気」というものがあるのではないかと思うんです。中国では気が良いとか気が悪いとかよく言いますが、チベットやブータンではルンタ(風の馬)と言います。人間も自然界もいつもルンタの流れを良くして回していなければいけない。その流れが滞ると良くないことが起きると。そういうことは迷信として片づけられなくはないんだけれども、実際にこの本を読んでいると心にもそういうものが確実にあって、それがうまく流れるようにしてあげるのがまさにケアなんじゃないかと思ったんです。
東畑 
 なるほど。カウンセリングは心を扱うと言いますが、でも心という言葉って、カウンセリングで出てくることはあまりないんです。「心が痛いです」とか「心が悲しんでいます」とかあまり言わない。ではどんな言葉が使われるかというと、「気」です。カウンセラーも「気分はどうですか」「どんな気持ちだったんですか」と訊くし、クライエントも「気にならなくなりました」とか「やる気がでなくて」と語ります。公式見解としては、カウンセラーはクライエントの人生の物語を扱うということになっていて、それはそれで本当だとも思うんですけど、「気持ちいい」とか「気を使う」とか「気が変になりそうだ」とかっていう話をしているときって、世界と自分の間で、気をぐるぐる回している仕事をしているのかもしれないと思っちゃいますね。ルンタも気も物語じゃなくて、エネルギーの流れのはなしですものね。
高野 
 東畑さんがこの本で、《「線は人生に関わり、円は生活に関わる」遠藤周作ならそう言うんじゃないかな。》と謎のセリフを言ってるけれども、生活というのは時間軸でなく空間的に流れている共時的なもので、物語というのは通時的、物語に沿って流れていくものだと。
東畑 
 気は生活の方に関わりますよね。デイケアでも「気分はどうですか」と訊きますが、「人生どうですか」とは訊かない。先日、居場所運営をしている自助グループの人たちとワークショップをして、居場所を維持するのが大変だみたいな話をしていたんです。そのなかで、居場所を得た人が、そのうちに「次」を考えるようになって、そこから居場所が難しくなっていくという話がありました。居場所はひとまずできた、でもこのままでいいんだろうか、となるんです。停滞している感じがするわけです。じゃあ、その次をどうしようかってなった時に、意見が割れてバラバラになり、居場所が壊れていく。これはどういうことかと考えていたのですが、居場所って、そこに「居る」人にとっては、それぞれの人生の一幕でもあるんですよね。居場所という空間に、そこに居る人のそれぞれの人生の時間が流れている。だから、居場所って原理的に壊れやすい。ずっと続く居場所はなくて、居場所って、それぞれの人生のある時期に、それらが偶然交差する奇跡的な瞬間なんじゃないか。
高野 
 何もしないでそこにいるっていうのは難しいという、それがこの本のテーマなんだけれど、言い方を変えるとそういう物語を書いた人がいないわけでしょう、今まで。書くのがすごく難しいし、まず書けないと思うんです。どうして東畑さんがそれを書けているかというと、東畑さんの時間軸の物語があるからなんです。この話は何の物語かというとセラピーをやりたい若い研究者が現場に行ったらセラピーができなくて苦しむという話なんです。そういうはっきりとした縦軸があるから『イルツラ』は読める物語になっていて、未熟な若者が何も知らずにそこの世界に入り込んで大人になって帰ってくる話、青春記という感じがするんです。
東畑 
 でも何かを知るってそういうことですよね。知らないところから始まって何かを知る。そういう意味では実は学術書はすべて青春ものとして書けるのではないかと。
高野 
 ブータンのゾンカ語では、「調査する」と「学習する」が同じ単語なんです。それがすごく深いと思ったのですが、そういう意味では確かに学術書って青春記になり得る。この本は本当によく出来ていて、心を病んでいる人たちと一般の人ってなかなか共感できないと思うのですが、この本だとそれが普通にできていて、彼らを同列で感じられる。それはこの人たちが何か青春しているような感じがするからじゃないかと思うんです。僕はハエバル君が村上春樹みたいだなと思って結構好きだったんですが、頭に穴が空いていてその穴を塞ぐために一生懸命イメージで石を積んで塞いで崩れないようにしている。そこだけ見るとすごく異様な感じがするんだけど、この文脈で読んでいくと頑張ってる感じがすごく伝わるんですよね。ここに出てくる人たちは、一日が波乱万丈で苦しんだり戦ったり頑張ったりみんなを元気づけたりしてて、すごく青春っぽい。そこが共感を呼ぶと思うんです。
東畑 
 みんな回復しようとしてそれぞれ頑張っているんですよね。だから、トランプができるようになるって些細なことで、外から見ると意味がないように見えるかもしれないけど、本人にとってはすごく偉大な達成だったりする。そこには物語があるんです。あぁ、そう思うと、学問も異世界ものなんですけど、「病む」ということも異世界ものですよね。病んだ人は異世界に放り込まれて、必死に異世界から戻ってこようとしています。外から見ると慢性疾患で動きがないように見えるんだけど、本人たちは必死に物語を生きてもいる。そういうことを書きたかったのかもしれない。
高野 
 それがすごく伝わってくる。スタッフだった人も読んでいるということですが、反応はどうだったんですか?
東畑 
 すごい笑ったと言ってもらいました。笑ってもらえるって一番嬉しい。泣いたより笑ったの方が嬉しくて、泣いたって言われるとなんか〝イルツラ〟になっちゃう(笑)。
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この記事の中でご紹介した本
居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書/医学書院
居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書
著 者:東畑 開人
出版社:医学書院
以下のオンライン書店でご購入できます
「居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書」出版社のホームページはこちら
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