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更新日:2019年4月28日 / 新聞掲載日:2019年5月3日(第3287号)

祝!『文藝』リニューアルスペシャル !! 古谷田奈月「神前酔狂宴」/東浩紀/文學界新人賞受賞作

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一つの雑誌が生まれ変わる瞬間に立ち会えるとき、時評家をやっていて良かったと思う。『文藝』がリニューアルした。編集後記には、「問答無用の存在感と今読まれるべき必然性を備えた野心作を『文藝』から生み出していく」とある。大変心強い。

今後は特集を行うという。今号のテーマは天皇・平成・文学。自他ともに認める平成が生み出した批評家、東浩紀がエッセイを寄せている。東浩紀一流のシニカルな眼差しで平成を総括した文章だ。東浩紀は平成を三つの時代に区切っている。改革の九〇年代(平成ゼロ年代)、リセットの二〇〇〇年代(平成一〇年代)、祭りの一〇年代(平成二〇年代)。それらは全て、実態なき希望を国民に夢見させ、ひたすら空回りしていた時代だったのだ。だとするなら、次の令和は祭りの時代の続きから始まる。簡単に予見できるのは、祭りが終わったあとに訪れるむなしさだ。ゴミだけが散らばった祭りの会場は空き地になるのか、それとも新しいアーキテクチャが作られ、祭りの雰囲気を巧みに引き継ぐのか。そのとき批評はどのような役割を担えば良いのか。答えは数年後に自ずと現れる。

新しい『文藝』の目玉は古谷田奈月の長編「神前酔狂宴」だろう。明治期に偉勲を立てたとされる椚萬蔵と高堂伊太郎という人物を祀ったそれぞれの神社に併設される会館が舞台だ。そこは婚礼の会場としても活用されている。主人公は派遣会社から披露宴の給仕としてアサインされた脚本家見習いの浜野。彼は披露宴の滑稽さを存分に引き出すために働き、同僚の梶とともにキャリアアップを狙う。披露宴会場で働くというのは幻から金を生み出させるということだ。そのことをわかっていながらも、天皇に忠を尽くした高堂伊太郎さながらに、新郎のために全身全霊を尽くす。小説の批評性は、まさにこの点にある。高堂伊太郎がかつて誓った天皇への忠誠心は、現在、どこまで内実の伴うものなのか。それが空虚だと判明した瞬間、浜野はただの道化と化す。右寄りの思想の空無な状態を劇画化し、それだけでなく、彼らの寄る辺なさに哀切を漂わせている。さらに、この物語の射程は広く、現代における婚礼の差別主義を暴いているようにも読める。紛れもなく著者の代表作となるだろう。

それから、飛浩隆「鎭子」(同作者の近作で震災の影響が濃い「海の指」のスピンオフ。妊娠のできない身体となっている志津子の内面を抉り出し、幻想から現実へ掬い上げる快作)や小川哲「密林の殯」(神という象徴的な存在を求めることの空っぽさを映し出している)など、既存の純文学の枠組みを越えた想像力を持つ作者の名前が並んでいるのも良い。次号も楽しみだ。
『文學界』の新人賞が発表された。今回は二作同時受賞。奥野紗世子「逃げ水は街の血潮」は地下アイドルとして活動している二十六歳の女性の、血反吐の混じったような生活を描いた作品だ。小説には綺麗に片付けられた1LDKのような実存を描いたものと、散らかったワンルームの汚部屋のような実存を浮かび上がらせるものがある。後者には、なぜだか、居心地良さがある。それは、その部屋にいるときだけ、外の世界の何もかもがどうでもよくなり、退廃的になれるからだろう。この小説はそんな風に汚部屋じみた内面を見事に投射し、迫力のある絶望感を与えてくれる。田村広済「レンファント」は専業主夫の弘明と皮膚病を患う息子、そして子育てに関心を持たない妻の、育児に伴う責任とは一体何なのかを問う小説だ。この小説が巧いのは感情を描かないところだ。妻への怒り、知ったような口を聞く同級生への憎しみ、自分への苛立ち、そういった感情をいちいち描かない。なのに、読者が弘明に代わってそのような感情を抱くのは、作者が読者を信頼しているからだろう。
と、今回は珍しく褒めちぎったが、それら全てを凌駕したのが高山羽根子「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」(『すばる』)だということはここに記しておこう。

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