想起の文化: 忘却から対話へ 書評|アライダ・アスマン(岩波書店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年5月11日 / 新聞掲載日:2019年5月10日(第3288号)

トラウマ的過去とつき合うために
三つのパースペクティヴを取り戻すことを要請

想起の文化: 忘却から対話へ
著 者:アライダ・アスマン
翻訳者:安川 晴基
出版社:岩波書店
このエントリーをはてなブックマークに追加
一月二七日はアウシュヴィッツ収容所が(一九四五年)解放された日である。ドイツでは一九九六年以降ナチズムの犠牲者に対する全国追悼日となっており、この日のドイツ連邦議会記念講演は毎年世界に報道されるのが恒例となっている。今年は州議会レベルの記念行事にまで関心が集まった。なかんずくテューリンゲン州(九〇年旧東独から編入された五州の一つ)議会において舌鋒鋭いホロコースト史家ゲッツ・アリーが記念講演をおこなったことが注目されただけでなく、旧東独五州の中でもこの州で目立って台頭著しい極右民族派政党「ドイツツのための選択肢AfD」議員団がアリーの講演に公然と拒否反応を示したことも大きく伝えられたからである。ナチスの犯罪と犠牲者の運命を思い起こす「想起の文化」など政治的に一八〇度逆転してみせると最近も豪語していたAfD議員団長らに対して、アリー講演を司会した州議会議長は、「人種論的反ユダヤ主義の攻撃が増えてきているが、これは自由で多様な私たちの社会に対する攻撃であり、われわれの生き方、私たち全てに対する攻撃である」と、この日も警告的に応じた。

「過去を想起できない者は、過去を繰り返す破目になる」という意味で、私たち日本人にとってアジア太平洋戦争を今日いかに想い起こすのか、という問題が、近隣アジアの国々、わけても韓国・北朝鮮・中国・台湾の人びととの真の和解可能性と密接にかかわって、きわめて重要であるのと同様、第二次世界大戦時ヨーロッパ・ユダヤ人絶滅をはかったナチ体制による「ホロコースト」をいかに想起するのかという課題は、ドイツ人にとってその「歴史的基本認識」の問題とパラレルに、歴史とアイデンティティにまたがる重大な問いであり続けている、といって過言ではない。しかし日独で「想起」という言葉のもつ重みの違いは歴然としている。

「忘却、黙殺、想起」「ドイツの想起の文化の実践領域」「トランスナショナルな視点」という三部構成の本書がドイツの想起の文化の立脚点として掬いあげているのは、どんな特質だろうか。著者にしたがえば、何よりホロコーストという歴史的出来事の想起を含意する、この「想起の文化」に対して、極右のみならず知識人の間からもさまざまな「不快感」が表明されている今日、次の三つのパースペクティヴを取り戻すことが、まず要請されている。

ホロコーストを戦後忘却黙殺し続けた長期間、過去はまだ歴史家ないし本職の専門家の領域とみなされていたが、ここ三〇年ほどで状況は変化。「想起」というキーコンセプトとともに過去への関心は劇的に広がり、個人や集団、町、地域、国民は、このテーマを新たに発見したのだという。過去への接近のし方が、その意味で多元化し格段に強くなった(第一の視点)。「うわべだけの儀礼と皮相な当事者意識」に還元されたり、また「感情で飾り立てられた歴史政治の操作・術策」に堕さぬよう、自らのアイデンティティを強化し、自己の価値を確認し、自己認識と行為能力を支えるという意味で、なにより集団として過去を自分たちのものとなし得た(第二の視点)。「国家と社会が犯した罪に批判的に取り組む―それも被害者の視点に立って取り組む」という意味で、「倫理的な想起の文化」は、歴史的新現象であり、二〇世紀の終わりごろになってようやく広く受け入れられるようになり、ドイツ人の価値意識と歴史意識は根本的に変わったのだ(第三の視点)。

二〇歳の学生としてヴェトナム戦争の「テト攻勢」期を経験した典型的な「一九六八年世代」に属する本書の著者アライダ・アスマンが、文学・文化学の研究者でありながら、現在ではむしろメモリー・エキスパートと呼ばれるようになったのは、一九九〇年代から、文化的記憶、想起、忘却等のキーワードを焦点とする文化人類学的テーマの照明に集中的に取り組んできたからである。フロイトやニーチェ、ベンヤミンやアーレントたちが遺した「歴史哲学」、なかでも「記憶」「想起」「忘却」をめぐる深い理論的洞察のみならず、第二次世界大戦以降のドイツの「記憶の現代史」研究そのものにも文字通り本格的に従事してきたのであり、わけてもドイツ現代社会の公的記念日を学的に重視した考察は特筆に値する。二〇一二年の一月二七日には彼女自身「形質を転換できる想起の力」と題する記念講演をバーデン=ヴュルテンベルク州議会でおこなっている。

アスマンによれば、そこに賦与された意味や重要性が繰り返し取り決められ、また変化することがあるとしても、記念日はやはり、ある歴史的出来事が集団にとって有している、さしあたり合意を得た、枢要な意義を表している。「私たちはこのことを体験したから、今日かくあるのだ。私たちの経験は私たちにとって重要な価値を基礎づける。私たちは記念の行為を通じてそのことを想起する」(本書、二五頁)。したがって個人の想起は、集合的な想起の、より大きな文化的枠組みに包み込まれており、このことが、過去、現在、未来の橋渡しをする集合的アイデンティティの前提になるのだという。

想起といえば、それをもっぱら後ろ向きの態度とし過去にしがみついて未来志向をゆがめるものでしかないとする意識操作と誤解の風潮が横行している日本とは対照的なドイツでさえ、トラウマ的過去とつき合う方法として、対話的想起をなお必須としており、同時に想起が現在の地平からする歴史認識のダイナミックな再生過程も絶えず伴わねばならないことを本書は示唆してやまない。歴史的批判的知と教育の基礎づけなしの想起が右派の激しい攻撃挑戦に耐ええないのは明白だからである。
この記事の中でご紹介した本
想起の文化: 忘却から対話へ/岩波書店
想起の文化: 忘却から対話へ
著 者:アライダ・アスマン
翻訳者:安川 晴基
出版社:岩波書店
以下のオンライン書店でご購入できます
「想起の文化: 忘却から対話へ」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
芝 健介 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
学問・人文 > 哲学・思想関連記事
哲学・思想の関連記事をもっと見る >