中平卓馬をめぐる 50年目の日記(5)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2019年5月14日 / 新聞掲載日:2019年5月10日(第3288号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(5)

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写真家・中平卓馬は1938年7月生まれ、2015年に亡くなった。9月1日。77歳だった。(私とは学年でいえば六つ違い。私が中学に入るときには大学に入っていたのだ。中学生になりたてのものにとって大学生がどれほど彼方の存在だったか。私は折にふれて中平卓馬を同世代のように思えたりついにかなわない知恵をもった年長者のように思えたりしていた。遠近感が移動するのである。)

気ままにだが、私はふとこころひかれる新聞記事があればそれを切り抜いてスクラップ帳に貼る習慣がある。中平の訃報記事ももちろん貼った。
「……画像がぶれ、粒子が荒れたモノクロ写真を発表。既成概念を揺さぶる写真表現で衝撃を与えた(朝日新聞、2015年9月5日)」とあったが、結局ぶれと荒れか、と記事への批判ではないのだがそういう見られかたで終始したことへの複雑な思いがしたからである。

中平の写真はいつも森山大道の写真とセットで語られるが、森山さんもまたそういう見られかたには辟易していたに違いない。しかし彼はそれを逆手にとった。中平はそれをしなかったのかあるいはできなかったのか。

しかしいずれにしろ、「プロヴォーク」という小さな同人誌からはじまり、折からの分野の枠を超えながらもその根底に共有する意識をもって表現を競い合う時代に遭遇して、中平の多才さは貴重だった。

写真に潜んだ鮮烈な矢のような刺激性と、愚直な再現性の間をもっともっと広げなければならないのではないかと問い、しかし経済の従属物にはなるまい、根源的批評精神から生みだされる表現であれば従属物にはなり得まいという中平の思いは、「詩人」のように過激だった。

詩人のように過激になる、とは中平さんがよくいった言葉だ。中平さんには詩人こそもっとも崇高な批判精神を体現した表現者だと思っていたところがある。ではなぜ詩人にならなかったのか。
「書くと同時に自分が恥ずかしくなるんだ。人が酔うのはいいとして、自分は自分に酔えないんだね」

そんな率直な感想に私はいつも共感した。(こういう共感のときには、必ず小一の私が中一の中平さんを仰ぎ見るような気持ちが下敷きにあった。)

けれども中平さんは写真のあえかさにはとりこになった。そしてとりこになった自分に酔い、そういう自分を冷笑した。
「陶酔は気がつかないうちにきっと何かに収奪される。そしてやがて下請けにされるだろう。陶酔はブランドとなって、下請けつまり商品にされるものさ」
と、だから自分は酔いたくないのだと言った。

ダイアン・アーバスというアメリカの写真家が自殺したとき、中平さんは私に
「これで写真にもやっと伝説ができたね」
と、伝説をブランドにしたい写真ジャーナリズムやマーケットの台頭に関わる勢力をつよく揶揄した。

しかし皮肉なことに亡くなって中平さんは伝説の渦に翻弄されているようだ。「中平卓馬」という伝説に。それはそれで必要が生みだした現象の一つであるとして、私は「中平卓馬」になる前(1977年)の、まだ「中平さん」であり、美しい写真を撮っていたころの記憶を綴っておきたいと思っている。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)

   (次号につづく)
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