父と私の桜尾通り商店街 書評|今村 夏子(KADOKAWA)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年5月11日 / 新聞掲載日:2019年5月10日(第3288号)

父と私の桜尾通り商店街 書評
狂気に伴走する〈わたし〉
居場所をめぐる〈わたしたち〉の物語

父と私の桜尾通り商店街
著 者:今村 夏子
出版社:KADOKAWA
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今村夏子の物語は、読み始めると頭の中で小さなアラームが鳴る。
そもそも「父と私の桜尾通り商店街」というタイトルから、まさかこれが狂気に至る物語だとは誰も想像しないだろう。商店街ものといえば、ハートウォーミングな物語の代名詞なのに。「せとのママの誕生日」も、子供の愛らしい話を想像しそうになるが、実際には超高齢のスナックのママの誕生日(しかもママは終始寝たままで全く目を覚まさないというシュールな設定)の話だ。今村作品は、読者を日常の裏通りへと誘い、いつのまにか人の心という異世界へと拉し去る。どこかしら夏目漱石や内田百閒の小品世界を彷彿させもする。

本書に収められた六篇はすべて〈わたし〉が語り手になっている。〈わたし〉の語りが、気付けば狂気性を帯びていた…という一人称ゆえに成立する物語はドキリとさせられるが、そんなに珍しくはない。だが、今村作品の面白さは、ひとりの狂気にいつのまにか波長を合わせ伴走してしまう人物や状況が現れることだろうか。

「白いセーター」は、クリスマス・イブの日、同棲する彼氏の姉に子守を仰せつかってしまう〈わたし〉が四人の子どもたちに残酷にもいたぶられる話だが、〈わたし〉を追い詰めるものに世のなかの狂気を感じる一方、「今でも、一日を無駄に過ごしたい日にたまに取りだす」という白いセーターの匂いの記憶に執着し泣き笑いする〈わたし〉もまた何かに取り憑かれている。「ルルちゃん」の〈わたし〉は、子供が虐待されるニュースをみると半狂乱になり赤ちゃん型の人形を代替にして慰さめているという四〇代女性と出会う。〈わたし〉も虐待されていた過去をもつが、女から救い出した人形を人格化し、自分を投影する〈わたし〉のありようもどこかいびつだ。「ひょうたんの精」は、学校の先輩の体内に七福神が入り込むというもので、その経緯を語る先輩よりも、相談に乗り先輩に呪文を与える〈わたし〉の前のめりな姿が尋常ではない。「せとのママの誕生日」では、「スナックせと」のママの商売根性が、実は女の子たちのコンプレックスを個性に変えていたという話だが、彼女たちは失くした個性が冷蔵庫の中にあったといい出し、ツッコミを入れながらも話を受け入れる〈わたし〉も、そうした女の子のひとりだったようだ。「モグラハウスの扉」でも、学童の先生が一瞬垣間見た異性への夢が、十年経った洪水のある日に再燃し、彼女の妄想に〈わたし〉は文字通り伴走してしまう。最後の「父と私の桜尾通り商店街」では、駆け落ちした母親のせいで幼い頃から商店街で村八分にされているパン屋で育ったが、とうとう父と閉店の準備をはじめた〈わたし〉の前に新しくパン屋を開くという女性が現れ、商店街という居場所への〈わたし〉の執着と欲望が噴出していく――。

アラームが告げていたのは、〈わたしたち〉にとって切実な、居場所をめぐる物語の始まりの合図だったのかもしれない。
この記事の中でご紹介した本
父と私の桜尾通り商店街/KADOKAWA
父と私の桜尾通り商店街
著 者:今村 夏子
出版社:KADOKAWA
以下のオンライン書店でご購入できます
「父と私の桜尾通り商店街」出版社のホームページはこちら
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