対談=井上達夫×渡辺靖 リバタリアニズムから時代を考える 『リバタリアニズム』(中央公論新社)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年5月10日 / 新聞掲載日:2019年5月10日(第3288号)

対談=井上達夫×渡辺靖
リバタリアニズムから時代を考える
『リバタリアニズム』(中央公論新社)刊行を機に

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第4回
リバタリアンは、自由で公正な自生的秩序を描けるか

井上 達夫氏
井上 
 アナルコ・キャピタリズムには、僕も半分シンパシーがあります。しかし、最終的に反対する理由が二つある。一つは市場の制度的インフラは国家に依存することです。

アナルコ・キャピタリズムの名付け親、マレー・ロスバードは、公共財はマーケットでは最適供給できないから、政府が必要だという「市場の失敗」論を飛躍推論だと批判します。市場が最適供給できないからといって、政府が市場よりも良く供給できることにはならない。「政府の失敗」もある。要は、市場と政府、どちらがましかということ。これについては市場の方がましだというのが彼の主張です。たとえば、これまで政府による政策が貧困者を救ったことなどないといいます。その意見は否めません。しかし根本的な問題は、市場がましだとしても、その市場を作動させる契約や所有権のような制度的基盤の確立には、政府が必要だという点です。

所有権というけれど、例えば土地所有者は、地下はどこまで深く、地上はどこまで高く、自分の物にできるのか。知的財産権などはそもそも、どこまで認めていいのか。こうした問題については見解は対立し、国家が制定する法制度や諸国家が締結する国際協定で解決するしかない。

税制について、アナルコ・キャピタリストは多くのリバタリアンと同様、税引き前所得は自分の稼ぎだから、税金は搾取にあたる、と主張する。しかし、税引き前の所得は、自然的与件ではなく、民法の契約法や商法など、様々な法制度の総体で決まっています。つまり税引き前所得に対して自分が、自然の権限を持っているという前提から間違っている。アナルコ・キャピタリズムは、国家が大もとの制度インフラを作ることなしに、市場経済のルールが自明なものとして存在できるわけではない、ということが分かっていない。

もう一つの難点は、市場の方が国家より効率的に公共財を提供できるとしても、金の無いものは市場で治安サーヴィス等を買えないということです。

ノージックがアナルコ・キャピタリズムを斥け、最小限国家を擁護したのも、福祉国家的再分配は認めないが、他者の暴力からの保護というサーヴィスは、対価の支払いの有無に関わりなく提供されることが必要だと考えたからです。

さらに、ミルトン・フリードマンや、フリードリヒ・ハイエクなど、経済学者のリバタリアンは、最低限所得補償も認めていますよね。アメリカのリバタリアンの中で、これは例外的なのですか。
渡辺 
 少なくとも私が会ったリバタリアンの多くは、国家による一定の介入はやはり必要であるし、喫緊の貧困問題まで全てを市場や民間に任せるのは、非現実的だろうと考えているようです。古典的自由主義、特にフリードマンやハイエクの論理に乗る人が多い印象でした。いい換えると、共和党、とりわけ財政保守派の経済政策理念に割と近いように思います。
井上 
 「大きな政府」を否定しながら、彼らがそう考える根拠はなんでしょう。
渡辺 
 原理原則からすれば、政府介入には後ろ向きなのですが、実際にそれを運動として広げていく上では、貧困を切り捨てていくようなイメージは好ましくない。むしろ現実的・漸次的に政府を小さくしていこう、少なくともこれ以上肥大化することだけは防ごうということかと思います。
井上 
 アマルティア・センが、ノージック批判において、一種の内在的批判の議論を提示しています。仮にノージックやロックのいうように、何人も自己の生命・身体・財産を侵害されないという消極的権利しか持たないとしても、消極的権利が含意する他者への責任は、他者の権利を侵害しないというより、もっと広いものなのではないかと。
渡辺 
 私もリバタリアンが「他者への責務」をまず何よりも「他者の自由を侵害しないこと」と考えている点そのものは理解しつつも、果たしてそれだけで十分なのか、本の中で疑問を呈しました。つまり、リバタリアンが重んじる基本原理の先に、本当に自由で、公正で、自生的な秩序を描けるのかという疑問です。
井上 
 より広い他者への責務という点では、さっき触れた歴史的不正の是正も、自己の加害行為ではなく父祖の世代の加害行為に対する世代間連帯責任という点で、通常リバタリアンが想定する責任より広い。それ以外にも、私は次の二つの責任があると思います。

一つは、「善きサマリア人の義務」です。重い自己犠牲や負担を負うことなしに、他者を致命的危害から救済できるとき、その人を救うのは義務だということです。遭難した登山家を二次遭難の危険を冒してまで助ける義務はない。でも水溜りに幼児が溺れかけているのを、大人が素通りするのはダメでしょうと。

もう一つは一般予防への貢献義務です。個人の消極的な権利が侵害される確率が高い、治安の悪い社会が望ましくないというのは、リバタリアンにとっても同様でしょう。そうであるとしたら、消極的権利の侵害を予防する施策に貢献する義務が、リバタリアンにもあり、治安の悪さの根底に失業や貧困の慢性化があるとしたら、失業保険や職業訓練、最低限所得保証など、社会保障も必要になる。

要するに、すべての個人の消極的権利の尊重をリバタリアンも求める以上、自分が他者の消極的権利を侵害しないという消極的責務を超えて、自己の消極的権利も他者の消極的権利も、同様に尊重される社会を建設するために、積極的に貢献する責務を諸個人が負うことを、リバタリアンも認めることを要請される。
渡辺 
 実際には、たとえば、貧困支援に関しても、相手がそれを真に必要としているのであれば、リバタリアンたちはコミットすることにやぶさかではない。ただ、中央政府が対策を講じようとすると、お金ばかりかかり、実態にそぐわない、画一的で硬直的なものになる。それであれば地方政府がやった方が痒いところに手が届くだろう。しかし、一番良いのは民間の支援や市場の活力を生かしていくことだと考えています。
井上 
 私にとってリバタリアンの魅力は、市場を神聖化するのではなく、ツールだと考える点です。善き社会目的を実現するために、政府を使うよりは市場を使った方がうまくいくと。
渡辺 
 リバタリアンのセッションでも、開発援助に関するものが多くありましたが。例えばアフリカの貧困層に対して、ベース・オブ・ピラミッド(BOP)ビジネスの考え方がある。物を小刻みに、小ロットで売ることで、低所得層が購買できるようにし、市場を回し、彼らの働き口も作っていく。そのほうがよほど持続可能というわけです。

マイノリティへの差別問題も、政府が是正に立ち上がっても、実はさほどうまくいっていない。実際には、差別する一般企業や店舗に対して、消費者のボイコットが起こったり、優秀な人材が働きにいかないといった市場の論理によって、是正されている面も少なくない。あるいは逆に、貧困支援や環境問題に取り組むような企業には、消費者が賛同して後押しするような動きもあるでしょう。アメリカではLGBTQの権利がこの十年で大きく変わりましたが、解決の糸口は市場にあり、政府は後からついていった感じです。日本の社会では、何でも政府が統括し、規制すべきだと考える傾向が強いですが、もっと市場を信頼してもいいのではないか、と思うところがありますね。
井上 
 市場経済の場で、公共的価値を実現していくことがどこまで可能かという話ですね。
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この記事の中でご紹介した本
リバタリアニズム アメリカを揺るがす自由至上主義 /中央公論新社
リバタリアニズム アメリカを揺るがす自由至上主義
著 者:渡辺 靖
出版社:中央公論新社
以下のオンライン書店でご購入できます
「リバタリアニズム アメリカを揺るがす自由至上主義 」出版社のホームページはこちら
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