海を撃つ  福島・広島・ベラルーシにて 書評|安東 量子(みすず書房 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年5月11日 / 新聞掲載日:2019年5月10日(第3288号)

語られたこと、語られなかったこと
震災七年目のレポート。熱く湿ったエモーション

海を撃つ  福島・広島・ベラルーシにて
著 者:安東 量子
出版社:みすず書房
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東日本大震災は、津波による甚大な人的・社会的資源の損失と、原発のメルトダウンによる原子力災害の双方によって、かつてない規模の災厄をわれわれにもたらし続けている。本書は広島出身・いわき市在住で、いち早く現地でボランティア団体「福島のエートス」を設立した著者による震災七年目のレポートであり、時には詩の形式にことばを託しながら進んでゆく表現の中に、著者の熱く湿ったエモーションが感じられる。

チェルノブイリへの視察や国際放射線防護委員会(ICRP)のジャック・ロシャール氏とのダイアログ・セミナーなどの精力的な活動を通して、著者は少しずつ平常心を取り戻そうとしていくが、その内面には測りがたい空虚が巣くっている。「失われたかつての暮らしを、退屈な日常を、私たちが失ったものを、失わなくてはならなかった理由を、私たちを巻き込んだ得体の知れない巨大なものの正体を、本当は語りたい。けれど私たちは、それを語る共有の言葉をいまだ持たない」(「語られたことと、語られなかったこと」)。これはこと大震災に留まらず、みずから望むところではなかった暴力的な《災厄》の到来に遭ってしまった時にわれわれの感じる、「将来はなにが起こるかわからない」という終わりのない「宙ぶらりん」な不安の普遍的な記述にもなっている。

「そう、この数字は低いのだ。けれど事故前よりは高い。そして避難先よりも高い。低いけれど、高い。それをどう説明すればいいのか、理解すればいいのか、誰もが困惑の只中にいた。(…)この(個人線量計の)数字は、ただの数字ではない。測定する人の生活を反映している。生活そのものだと言ってもいい。この数値を価値づけることは、その人の生活を価値づけることになってしまう」(「末続、測ること、暮らすこと」)。この土地では個人の生き方の「価値」が、累積線量の高低で測られてしまう。かといって他の土地へ移住すれば、慣れ親しんだ生活空間やコミュニティからの別れを経験しなければならない……。これらの迷いに対し、主に日本人の技術畑の方々と思われる「専門家」らは「いろいろ放射能のことを説明するでしょ、数字のことをいろいろ言うでしょ、でも、結局最後は「自分で決めてください」「決めるのはあなたです」。それで、その専門家はここから帰っちゃう」(同)と、登場人物の女性は心理的サポートの踏み込みの浅さを訴えている。

「わたしたちは歩く/ひと気のない町並みを/破れたブルーシートに飾られた屋根のあいだを/背丈を超えた雑草生い茂る田畑の畦をかきわけ/はなうたまじりに/失見当識のさまよい人のように/いやに明るいあの旋律を口ずさみながら」(「その町、その村、その人」)。この詩は避難指示が敷かれた区域の一光景を描いたものだと思うが、「いやに明るい」ということばには、癒しがたく深い実存の崩壊がアイロニカルにこめられている。「世の中は、「復興」に向かってひた走っているように見えた。次々と復興の成功者があらわれ、メディアを賑わし、人々は賞賛を浴びせた。紛れもなく、私もその中にいた。その中心の一人であったと言っていい。(…)脚光を浴びた私は、次は影を引き受ける時なのだろう」(同)。本書は、姿の見えない敵と戦いつづけることの困難さが、震災被災地の方々だけでなく、現代に生きるわれわれにも多かれ少なかれ存在することを、はっきりと気づかせてくれる優れた作品である。
この記事の中でご紹介した本
海を撃つ  福島・広島・ベラルーシにて/みすず書房
海を撃つ  福島・広島・ベラルーシにて
著 者:安東 量子
出版社:みすず書房
以下のオンライン書店でご購入できます
「海を撃つ  福島・広島・ベラルーシにて」出版社のホームページはこちら
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