安東量子×小松理虔 「私たちは何を失ったのか、何を見ないできたのか」|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年5月9日

安東量子×小松理虔
「私たちは何を失ったのか、何を見ないできたのか」

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安東量子『海を撃つ――福島・広島・ベラルーシにて』(みすず書房、2019年2月8日)刊行を記念して、3月21日、代官山 蔦屋書店で安東さんと小松理虔さんのトークセッション「私たちは何を失ったのか、何を見ないできたのか」が催されました。
二人は福島県いわき市在住。『新復興論』(ゲンロン、2018年9月刊、第18回大佛次郎論壇賞受賞)でいわき海洋調べ隊「うみラボ」のことをはじめ、2011年3月11日の東日本大震災と原発事故以後の自身の活動報告をされた小松さんと、はじめての単著『海を撃つ』で、この8年間に活動してきたこと、考えてきたことを綴った安東さん。その対談の抄録をここに掲載します。
第1回
■測定を拠りどころにして、暮らしを取り戻す


小松 
 安東さんは『海を撃つ』を出されて、変わったこと、なにかありますか。
安東 
 本を出して変わったことは特にないです。まだ「みなさん、読んでください」という段階なので。私の場合、もうずいぶん前にTwitterでブレイクした時の経験があるので、あの時ほど変わることってこの先もうないんじゃないかなと思います。
小松 
 そうですよね。だって震災後に突如としていわきに「安東量子って誰や?」みたいな感じになりましたよね。やっぱり140字の世界っていうのは、一部だけイメージが切り取られていくから、今思えば、ああ安東さんはこんなことを考えながら発言していたんだなっていうのが、この本を読んでようやくわかる。けれど当時は必要な情報をドンと出すから、そこだけがズドンってくるじゃないですか。本を読んで、ああ、安東さん、こういう気持ちでやっていたのかって、こういう人だったのかっていうのをすごく感じました。

本を読んでまず思ったのが、科学ってそこに暮らそうとしている人たちに寄り添うものなんだなっていうことです。何かの基準を作ってそこから排除するものではなくて、その人たちの選択や決断みたいなものを後押しするものでもあるし、そういう人たちの考え、決断のすごく強い軸になっている。確かに僕も、「うみラボ」(いわき海洋調べ隊)っていう活動を続けていますが、あれは別に放射性物質の量を測りたいわけじゃなくて、俺たちが食べている魚ってこういう状況になってるんだって、食べていいんだ、こうやってどんどん楽しんでいいんだっていうのを知るための指標に過ぎなかったわけです。だからこの本を読んだときに、科学の本質について改めて教えられたなっていうのがありました。
安東 
 「うみラボ」は、自分で釣った魚を目の前で測って、最後はおいしく食べちゃうんですよね。やっていることは、私たちと同じだなってずっと思ってたんです。ただ、私の場合、ずいぶんカチカチなカタい放射線測定をしているというイメージで見られていたので、別種のものと捉えられているふしがあったんですけれど、測定って、偉そうにするためのものでもなくて、自分たちの生活をどう取り戻していく、あるいはどうコントロールしていくかが大切で、そのために私はずっとやってきたんです。
小松 
 震災後、初めて安東さんと出会ったのがICRP(国際放射線防護委員会)のダイアログセミナーでしたね。いろいろな方が発表するんですけど、僕が発表を聞いていて一番グッときたのが、やっぱりそこで暮らしていて「ああ、もう駄目だ、こんなんじゃもう、俺の人生、お先真っ暗だ」みたいな人たちが、測定を拠りどころにしながら暮らしを取り戻していって、自己を回復していくプロセスでした。しかも、そういう体験が、文学とか創作みたいなものの力によって喚起されるんじゃなくて、科学的なものが、ある種のエモーショナルな部分を支えているんだってことがすごく感じられました。「うちのだいこんは何ベクレルあって、食べられることがわかってすごく嬉しかったです」みたいな。科学の話なんだけど、僕にとってはその人が自分の暮らしを取り戻していくプロセスを、ちょっと演劇仕立てで聞かせてもらうみたいな感じで、エモいイメージだったんです。

当時から安東さんは感じられていたんだろうけれども、安東さんの言葉というのは、数値の部分や言葉だけ切り取られて伝わっていった面がありますよね。安東さんだけでなくて僕もそうですが、震災で語られる言葉って一部分が切り取られて、真意が確認されないまま、きっとこうだろうとか、こうに違いないと色がつけられて、勝手に別の物語が作られているみたいな、そういう局面の連続でした。特に数年間、原発事故とか震災を語る環境ってグシャグシャッとしていたんだけれども、あらためて問うべきことってなんだろうって、そういう本来の問いに戻ってきたような印象がすごくあります。
安東 
 小松さんの『新復興論』は小松さんご自身の視点で書かれていますけど、視点を広げて「あらためて問う」方向に広げたかったんだろうなと感じました。私の本は、自分がやってきたことを書いていますけど、基本的に他の人をサポートする立場で見ているので、ちょっと視点が変わってくる。小松さんは「ゼロ距離」って本の中で書かれていますが、小松さんのが「ゼロ距離」だったら、私の場合はもうちょっと、2か3かぐらいは距離を取りつつ、半分当事者で、半分外側の人間というところで書いています。測定の「エモい感じ」、本の中でもチラッと書きましたけれども、ホールボディカウンターを受けた人が、自分の土地は大丈夫だって確認できた、それでここで生きていけると思った、という風に言われたんですよね。そういうことがしょっちゅうあった。昔のギリシャのアルキメデスの「ユリイカ」という言葉ありますよね。何かに気づいて「ユリイカ!」「わかった!」って言って風呂から飛び出したという話、なんかね、そういう「ユリイカ!」みたいな瞬間があるんですよ。
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この記事の中でご紹介した本
海を撃つ  福島・広島・ベラルーシにて/みすず書房
海を撃つ  福島・広島・ベラルーシにて
著 者:安東 量子
出版社:みすず書房
以下のオンライン書店でご購入できます
新復興論/株式会社ゲンロン
新復興論
著 者:小松 理虔
出版社:株式会社ゲンロン
以下のオンライン書店でご購入できます
「新復興論」出版社のホームページはこちら
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