丸山眞男×久野収×大塚久雄  思想の冒険 ――思想史研究の新しい前進のために 『週刊読書人』1959(昭和34)年6月29日号 4~5面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年5月12日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第281号)

丸山眞男×久野収×大塚久雄 
思想の冒険 ――思想史研究の新しい前進のために
『週刊読書人』1959(昭和34)年6月29日号 4~5面掲載

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第2回
思想で対象を把握 マルクス主義が教えたもの

丸山 眞男氏
丸山 
 ぼくはよく日本でマルクス主義っていうものが思想史の研究方法の上にどういう意味を持ったかということを考えるんですがね、これはマルクス主義の日本の思想史そのものにおける意味と一応区別して考えるわけですよ。よくマルクス主義の思想史研究の上に持っている意味はいわゆるイデオロギー論だといわれる。思想をイデオロギーと解して、基礎課程との関連というか、思想を内在的でなく基礎課程によって制約された発展という見地を提出したところにマルクス主義の意味を普通は認めるんだろうと思うんですがね、ぼくはすこしちがった意見をもっているんです。

そういうイデオロギー史的なアプローチは唯物史観ほど理論化されていないけれどもっと素朴な形では前からあるわけなんですね。思想を思想外的なものの機能としてとらえたり、政治的社会的役割によって思想をさばく考え方ですね。むしろヨーロッパのキリスト教を中心としたドグメンゲシヒテ(教義史)のような伝統の方が弱い。マルクス主義はむしろ進化論の継続として理解されたので、思想の相対性というか、そういう昔からの伝統に癒着した面がある。ですから現にマルクス主義の日本における歴史の中で思想史研究が一番遅れて登場した。そこには基礎課程の究明が第一次的な仕事でイデオロギー過程は、付随的とまでいわないにしても第二次的だという想定が強く作用していたので、どうしてもあと回しになっちゃうわけです。非常に逆説的なんですが、支配階級の方がまずマルクス主義の科学や運動一切の中心に「思想」問題を見ぬいた。つまり天皇制という最大のイデオロギーに対する最大の挑戦を至るところにかぎつけたんです。ですからマルクス主義の思想史方法論 における貢献はかえってマルクス主義者がほとんどその意味を自覚していなかった面に鋭く出てるんです。

それがさっきのことばで言えば思想でもって対象を把握するということですね。従って正統マルクス主義者の書いた歴史はみずから意識しないで一切の歴史叙述が、ある意味では思想史になっちゃった。これがいわゆる科学主義者、あるいはマルクス主義をもっぱら実証科学としてとらえる立場からは極端に観念論だと言われたゆえんなんです。それはたしかに実証性に欠けた面があるし、またその「観念論」が政治主義とくっついていたところは科学としては純粋にマイナスなんだけど、他方で科学主義者によって攻撃されるまさにその点というものが、思想史という問題を考える上にマルクス主義が持っていた非常に大きな意味じゃないかと逆に考えるんです。
大塚 
 ちょっと、ひっかかるところがあるのは、同じイデオロギー論でもマルクス主義とそれ以前ではちがうところがある。とくに経済学という批判の武器の意義は重要だとは思うんですが、丸山さんの御意見は全体として非常に賛成です。マルクス主義は唯物論を標榜していますが、しかし日本人が思想するさ中で、そんな抽象的な表現をしてみれば、彼らに手でじかにさわりうるもの、目でじかに見うるものがあるということ、そういう目には視えない、直接にはさわりえないものに対する信仰を多くの人びとに教えたということは非常に大きいんじゃないですか。それに依拠しなければ科学も科学的思惟も成り立ちえないような現象の背後にあるもの、それを西洋と思想的伝統の違う日本では、たしかにマルクス主義が教えたということに同感できますね。
久野 
 ぼくもそう思います。
丸山 
 だから労農派が政治主義的な偏向から免れたというプラスがちょうどイデオロギー問題におけるマイナスと相補ってる。
久野 
 たとえば、ホワイトヘッドの『観念の冒険』(アドベンテュアズ・オブ・アイデアズ)ですね。そういう目に見え、手に触れ、口で味わえるもの――ホワイトヘッドはそれを“文化”と呼ぶわけですが――の中をただうろうろとうろつくだけでは思想史は成り立たない。思想史は観念の冒険であって、そういう一つの文化の中でツウツウの状態にある慣習化された観念がどっかで“文明”(シビリゼーション)という普遍的原理にむかって自分を冒険するところに成りたつ。民族とか共同体とか天皇制とか、そこで支配的な慣習とか物の感じ方とかをただ自覚化したというだけえは思想史は成り立たない。ホワイトヘッドは文明の原理を“普遍者”(ジェネラリティ)と呼びますが、文化が自分を文明化そうとして冒険をあえてするのが、思想の歴史だというのです。だから思想史の方法も自分の観念の冒険によって、過去のさまざまな冒険のあとをとらえるということになりますね。それをただ特殊個別性だけにこだわり、そのワクの中で動いているだけでは思想史でもなんでもないわけです。それは今の問題と関係があって、マルクス主義は明治以後もキリスト教をやったんだが、キリスト教を受けついで、日本文化の中にあるものがほんとうの思想になるためには、日本文化の中にある日本人の思考様式とか生活様式が、ほんとうに文明にまでのぼるためには、どこへ冒険しなければならないか、どこへ飛躍しなければならないか、を教えた。そこにマルクス主義の偉大なところがある。ほかの流派は東西文化の融合とか、採長補短とか、とにかく冒険じゃないんです。日本の文化様式に腰をおろして、長をとり短を捨てるということになって、あれじゃホワイトヘッドのいう思想の冒険にはならない。冒険のあるところにしか思想はない。日本の文化は日本人にピッタリあい、文化としては立派なもんでしょう。しかし、日本の文化がなぜ普遍的文明にならなかったかをよく考えてみる必要がるのじゃないか。
大塚 
 社会科学の方法で思想史に近づいて行くことは出来ますし、また重要だとは思いますが、いま久野さんが言われたことこそが思想史に固有の問題だというべきなんでしょうね。
丸山 
 思想ないしもっと広く言って世界観からの対象把握以外にはほんとうを言えば歴史的対象を把握できないという主体的な契機を教えたのはマルクス主義の貢献だと思うんですけどね、自らの理論をたえず仮説として働かすような、そういう精神というものね、これはやっぱり久野さんなどによって説かれプラグマティズムの意義が評価されるまでは日本では十分に自覚されなかったんですね。
久野 
 大塚さんの人間類型とかエートスとかの立場、大塚さんがそれでもって歴史を記述したことの意味がほんとうにわかっていないんじゃないですか。
大塚 
 私も書き方がまずいし、イデアール・ティプスを理想型と訳したということもありますけれど、何か仮説の設定とか、科学の手続としての抽象ということさえ重んじられなかったという感じも残ります。
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