丸山眞男×久野収×大塚久雄  思想の冒険 ――思想史研究の新しい前進のために 『週刊読書人』1959(昭和34)年6月29日号 4~5面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年5月12日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第281号)

丸山眞男×久野収×大塚久雄 
思想の冒険 ――思想史研究の新しい前進のために
『週刊読書人』1959(昭和34)年6月29日号 4~5面掲載

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第3回
汲むべき過去の遺産 『文明東漸史』から羽仁史学まで

久野 収氏
思想史研究の歩み

丸山 
 ぼくは明治以後の日本の思想史研究の過程をもう一ぺんここで振り返ってみると、それぞれの段階で、これからの思想史学というものを豊かにして行くべき遺産があるような気がするんですよ。今のマルクス主義は一つの例だと思うんですがね。もっとさかのぼれば、一番初めには文明史的な思想史が日本の場合には登場してるんですね。田口鼎軒や福沢がそうです。これはむろん日本の啓蒙とくっついてるわけですが、またさっき、マルクス主義が必ずしも初めて教えたんじゃない、といった問題――いわゆるイデオロギー批判というものを近代で初めて相当大規模にやった人たちはこういう人たちです。儒教とかいうものをイデーとして批判するのでなくて、それを福沢は真っ先にやってる。藤田茂吉の『文明東漸史』はこの段階を代表する名著ですが、これは同時に『文明東漸史』という名前がこの時代の歴史観を象徴している。

文明が向こうにあってだんだん東にやって来るというのが日本の啓蒙主義の基本的な特色です。それに対しての一連の反省が二十年代以後に出て来る。それがたとえば三宅雪嶺なんかの動きですね。彼の『明治思想史』とか、山路愛山の『日本基督教会史論』。政治思想史でいうと、陸羯南が『近時憲政考』というのを書いていますし、竹越与三郎の『新日本史』も立派な思想史を含んでいる。これらは三宅さんのことばじゃないが、同時代史としての思想史としてくくられる。これは『文明東漸史』という見方が国民的な自覚を一応持っていたがそれを前面に出さなかったのに対して、それを出して来た。にもかかわらずこれはのちの変なナショナリズムと違って啓蒙の尾を曳いてる。いわばアン・ジヒ(即自)としての啓蒙がフュア・ジヒ(対自)の啓蒙になった。そのあとがだんだんまずくなる。そのあとへ出て来たのは国民道徳論としての思想史でしょう。三十年代以後でて来た国民道徳論を基盤にして日本の思想史を見直そうというのが井上哲次郎その他の人。儒教の研究はおもにその人たちがやった。その意味では儒教史を単なる教学史としてでなく思想史として見る上に貢献したが、根底が国民道徳論ですから体制に密着した思想史の立場だと思うんです。これに対する反撃が明治の終りから大正デモクラシーにかけて出て来た。その一つの形態が津田左右吉さんの思想史ですね。それから柳田国男さんの……これは思想史とは言わないが、柳田史学。これは津田さんの学問と非常に違うようですけれども、体制と密着した思想史に対するリアクションという意味では共通してる。どういう点で共通してるかというと、生活史としての思想史という風に規定できるんじゃないか。思想史を国民生活という一番下のところに降ろして行って、生活の中で揉まれながら形成して行く思想をとらえようとした。

柳田さんの史学は一面では本居の国学を継承してる面があるわけですが、これを最も学問的に忠実に継承した思想史として御承知の村岡典嗣さんのものが出て来る。津田さんと村岡さんは日本思想史研究の両巨頭になって二つの流れになって行った。村岡さんにもアンチ井上的傾向が強く流れている。その次にさっき言ったマルクス主義的思想史研究が出てくるわけです。
久野 
 明治の初期にそういう文明の原理が海の向こうから渡来して、勉強すべきモデルは向こうにあって、自分たちの文化はそれに対して遅れたもの、情ないもの自分たちが早く一所懸命なくさなければならないものとしてとらえられてるのは、文明という原理から見ていますから、思想史の一つの基本的な角度です。文化だけにとどまって特殊個別性の中だけで暮らしているのでなく、高い角度だけれども、その文化が文明にまで自分を冒険して高めて行く発条がどこにあり、その文化の中の何を引出して来て発条にすれば文明にまで自分を冒険して伸びて行くかという角度からするとまずいところがある。そのリアクションとして文化の中にあるいろいろな様式を研究する方法が次の段階でいろいろなタイプとして、いま丸山さんの説明されたように出て来たのだと思う。
丸山 
 和辻哲郎さんの思想史もその系譜から出て来た。和辻さんの思想史で面白いのは両面作戦ですね。一面ではアンチ井上。和辻さんの思想史も大正の雰囲気の中から出て来てる、その意味では明治の正統思想史学に対する反逆。しかし他面、生活史としての思想史でなく解釈学を樹立するため文化の内在的な個性をつかまえて行くやり方で、津田さん、それから唯物史観に対抗する。
久野 
 それは和辻さんが外国から帰られて、自分はもともとはハイカラ派で、日本人の生活様式とか文化は遅れたものだ、という考えを深く持っていたんだが、向こうへ行って見ると、ベーシックには同じ原理、同じイデーがちがったあらわれ方をしているだけだ、むしろ日本にも尊重すべきもの、よいものがたくさんあるという視点を自覚させられた。今いみじくも丸山さんが両面作戦といわれたが、ベーシックに同じものじゃないかという観点があって、日本の文化をして文明にまで跳躍させ冒険させる観点が少し少ないわけですね。向こうにあるやつは、こっちにもある。それは一つのイデーの異なれる表現 だ、という見方から和辻さんの解釈学のあのみごとな業績が出てくる。いまあるものをどう変えるかではなくて、どう深く理解するかという立場ですね。
丸山 
 それで非常に面白いのはね、その観念の冒険の面ね、それがマルクス主義の退潮期にとにかくぎりぎりの線で近代性を守ろうとしたマルクス主義者において出て来た。たとえば羽仁五郎さんね。羽仁さんの思想史っていうのはちょうど和辻さんの対極です。解釈を徹底的に排し、最後にはマルクス主義の中にある啓蒙主義と、合理主義を取り出して来て、これをほとんど超歴史的な原理としてそれでもってファシズムに抵抗しようという……。
久野 
 文明の原理としてね。われわれ血の気の多かった当時の若者たちが和辻さんより羽仁さんに一層深い影響を受けたのは、その点だったのですね。
丸山 
 「幕末の倫理思想」などでは絶対なものは事実でなくて課題だといってカント主義に近づいている。戦後、津田さんから羽仁さんへ行く流れをもっともよく受けついでいるのは家永三郎氏です。
大塚 
 戦前羽仁さんの書かれたものはぼくらに深い感銘や激励を与えられました。
久野 
 羽仁さんと大塚さんではアドベンチャーの仕方が違うのですが、大塚さんにも思想による戦争中の抵抗があるのでぼくら打たれるわけですよ。
大塚 
 それがまた、抽象的につかまれて、近代主義と言われる理由にもなってるわけですね。
丸山 
 だから、マルクス主義が退潮期になった時にいろんな形で自分の勉強したマルクス主義というものの中のエッセンスというものを新たにつかみ直す動向がでて来た。今の羽仁さんが一つの例ですし大塚さんはマルクスの中にあるウエーバーという道を取ったと思うんです。「唯研」のなかからは永田広志や鳥井博郎が思想史に本格的にとりくみ出した。三枝博音さんもその流れです。自分のことをいえば僕は逆にヘーゲルにさかのぼって、ヘーゲルの『精神現象論』の中に思想史の方法を探ろうとした。カテゴリーの弁証法をつかもうという動きはドイツのマルクス主義者のなかにもあって例のポルケナウの思想史が出て来る。奈良本辰也氏の日本の近世思想史研究もそこに暗示をえている。そういういろいろな形が現われた。
久野 
 そこは思想史としては書かれていないんだ。その角度からもう一度戦争の思想史を書かなくてはいけない。
丸山 
 共通した思考は、近代を守るということ。
大塚 
 そしてファシズムに対する抵抗、何故ファシズムというものが勝利したか、その理由を究明したいということでしたね。
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