広岡浅子「草詠」 書評|高野 晴代(翰林書房 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年5月18日 / 新聞掲載日:2019年5月17日(第3289号)

広岡浅子「草詠」 書評
春の歌人・広岡浅子
浅子の手書き歌集『草詠』発見に寄せて

広岡浅子「草詠」
著 者:高野 晴代
出版社:翰林書房
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岡浅子は、幕末の京都で三井家に生まれ、十七歳で大阪の豪商加島屋に嫁ぎ、激動の時代を生き抜いた女性実業家である。日本女子大学の創立にも奔走した。朝の連続ドラマ「あさが来た」の主人公として広く名を知られるようになったが、このほど広岡家から、浅子の手書き歌集『草詠』が発見された。「春」「夏」「秋」「冬」「恋」「雑」と和歌の伝統にのっとった部立による『草詠』六冊を、本書は全歌翻刻し、口語訳して解説を付する。監修は、日本女子大学教授・高野晴代氏。

翻刻にあたった坂本清恵氏の解説によると、桂園派の師匠から『古今和歌集』を基礎とする和歌の指南を受けたもののようだという。また、高野晴代氏の解説によると、『古今和歌集』でもことに伊勢への憧憬が感じられ、『源氏物語』なども読んだ形跡があるという。

浅子は、十三歳の頃「女子に学問は不要」と読書を禁じられたといわれるが、当時「学問」とは漢籍を読むことを指した。和歌は茶の湯や生け花などと同じく良家の子女のたしなみの一つであったはずで、和歌の稽古には通ったのではないか。二十歳で実業に身を投じた生活を思うと、十代で養った基礎がなければ、おりふしの思いを歌にまとめる技倆も習慣も身につくまい。
大空の一つ緑に続くまで萌え渡りたる野辺の春草   (題・春野)

野辺の緑が萌えて大空の緑と一つになるまで続いているという、気宇の大きな歌。十代の少女ならではの調べが感じられるようだ。

浅子は春の歌人と言っていいほど、圧倒的に春の歌が多い。芽吹きの季節の明るさ、伸びやかさが、気性に合って歌心を誘うのだろう。歌の輪郭ははっきりとしているのに、「霞」の情緒を好むところも面白い。なかでも新鮮だったのは、つぎのような歌。
あはれなる嵯峨野の春の曙に妻問う雉の声霞むなり  (題・野雉)

「霞」とは、もともと視覚に使う語だ。それを声や音につかった例が和歌にどれほどあるのか。少し探索しただけだが、近世歌人武者小路実陰に「月はけさ影さだかなる明ぼのに初音ぞ霞む山子規」(題・郭公幽)が見つかったばかりである。実陰は言葉の組み合わせが独創的と言われる歌人だった。

浅子の歌は率直、ことに新しいものに触れたときの心弾む快活さには邪気が無い。
とつ国の人とも慣れて遊ぶ世に生まれし身こそ楽しかりけれ   

    (題・述懐)

述懐とは、心中の思いを述べること。姻戚関係にもなった建築家ジェームスとの交流をうたったものか。
ほととぎす汝の古巣へしるべせよ憂き世の外の隠れ家にせむ

 (題・寄時鳥述懐)

ほととぎすは、黄泉の国へ案内する鳥という。おまえの古巣につれていっておくれ、そこをこの憂き世から逃れる隠れ家にしよう、という。晩年をうかがわせる歌には、「憂し」という語が散見する。亡夫・信五郎との日々をしのぶ心がこもっているようにも思われて、しみじみとした歌である。
この記事の中でご紹介した本
広岡浅子「草詠」/翰林書房
広岡浅子「草詠」
著 者:高野 晴代
出版社:翰林書房
以下のオンライン書店でご購入できます
「広岡浅子「草詠」」出版社のホームページはこちら
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