みんなで戦争 銃後美談と動員のフォークロア 書評|重信 幸彦(青弓社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年5月18日 / 新聞掲載日:2019年5月17日(第3289号)

みんなで戦争 銃後美談と動員のフォークロア 書評
「美談」もそれ自体として「事実」である
銃後美談を「逆なでに読む」ことで、生きた歴史が浮き上がる

みんなで戦争 銃後美談と動員のフォークロア
著 者:重信 幸彦
出版社:青弓社
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総力戦体制が構築される日中戦争のころ、庶民の暮らしの中から夥しい数の逸話が収集され、「銃後美談集」が編集された。夫や息子が後顧の憂いなく戦場に出かけられるようにと、残された妻や母は悲しみを表にあらわすことなく毅然とした態度で兵士を見送り、家を守った。近隣の人びとも出征兵士の家族の苦境を座視することなく、善意の手をさしのべた。あるいは、必ずしも豊かではない人々やまだ幼い少年少女らが遠い戦場で戦っている兵士のために積極的に献金した、等々である。敗戦ののち、これらの美談群は国民を扇動するために脚色された単なる「プロパガンダ」と見なされ、その多くは顧みられることなく散逸していった。たしかに「美談」は銃後の国民がいかに振る舞うべきかの規範を暗に示そうとするプロパガンダであり、どれも似たような建前の物語であり、潤色されたフィクションであっただろう。こうした一般的な美談イメージからすると、本書の美談に対する構えは極めて興味深い。膨大な美談集を収集し、読み解いていった著者は、「美談」もそれ自体として「事実」であることを認める。それはこちらからの問いかけ次第で一定のリアルな事実を語りかけてくる「記録」なのである。美談の集積は権力がつくり上げるものだが、ひとつひとつの小さな逸話に枷をかけている美談の枠組みを分析し、その枠をはずし、背景をなす「空気」のありようについて十分な想像力を巡らせ、つまり美談を「逆なでに読む」なら、そこからはまぎれもなく当時の人びとの生きた歴史が浮きあがってくるのだ。庶民がそれぞれの切実な事情や苦境を乗り越えて、奮闘し献身していくことを語るのが美談である。ということは、それを美談化する手前で、まずは人々を追いこんでいったのっぴきならない苦境が語られなければならない。美談の話型には本質的にこうした逆説が備わっており、精神的動員のための美化をどれだけほどこしても到底間にあわないようなそれぞれの深刻な「事情」が露呈してしまう。そこにこそ銃後の美談を「逆なでに読む」切り口が開かれているのだ。

とはいえ「美談」の覆いを取り払えばそこに悲惨な「真実」が現れるというわけではない。動員とは被治者の自発性を動員することであり、人々はあるレベルではたしかに「自発的」に美談を生きた。人々が「美談」の主人公へと追い込まれていかざるを得なかった当時の「空気」を美談群それ自体の中から読み解き、語りなおしている点が、戦時下生活史である本書の傑出した特色となっている。私たちはなぜ戦時下の人びとがある高揚感をもって戦争に参加したのか、その意識を必ずしもうまく想像できないが、それは時代の意識の核心に、追いつめられた自発性、という複雑な折り込みがあるからなのだろう。とはいえ現代人たる私たちは、その複雑な感触がよく分るのだ。本書が指摘するように、私たちも日々それぞれ固有の「事情」と「弱さ」を押し殺しながら、強く毅然と自己責任で生きるよう強いられているのだが、そのとき私たち自身の「自発性」がどれほど追いつめられているのだろう。そう考えずにはいられなくなる。

本書は銃後美談集をどのような組織が編んだのか、どのように流布し増殖していったのかを検証し、当時の大衆文化を代表する雑誌『キング』の付録を取り上げている。日中戦争の時代は戦争の時代であるとともにモダニズム文化の時代でもある。美談は大衆文化の中で拡大した多様なメディアを通して流通した。子供たちは兵隊さんの見送りが大好きで、だらしない大人に対して銃後の国民の自覚を促すべく、納豆売りをしてお金を作り、喜々として献金した。少女たちは出征家族の家の「お手伝い」に乗り込み、あるいは戦場の兵士に「お兄様」と呼びかける慰問の手紙を書いた。母は国に捧げた息子の戦死を本望と語った。その手紙が新聞で報じられ、さらに百貨店の展示、レコード、映画など多様なメディアに増殖していく。老いた親は、息子を危険な所で働かせてほしい、「生きて帰村しては、世間へ顔出しが出来ません」と書くが、その激烈な言葉を「逆さに読む」なら、そこには「世間へ顔出しが出来ない」というその世間によって美談の主人公へと追いつめられていく様が透かし見られる。美談群の数々をここで紹介しつくすことはできないが、単純で型どおりの「善行」の向こうに、空恐ろしい高揚感、あるいは抜き差しならない「事情」を抱えた人間の姿がなまなましく伝わってくる。

本書は最後に「美談」群と表裏をなすもう一つの「事実」を参照している。内務省警保局が作成した出征兵士の家族に関わる犯罪記録であり、そこには「生活苦より応召軍人の実子絞殺事件」「応召兵士が後事を患へて白痴の妹を殺害」といった事件が並んでいる。深刻な家庭の事情を抱えてかろうじて生きて来た一家に召集令状が届いたことで起った事件であるが、ほぼ同じ条件で「勇ましく」出征し、近隣の人びとが子どもの面倒を見ることで美談となった逸話と、これら犯罪記録は条件的に共通している。「美談」「事犯」は一枚の紙の表と裏であり、著者は「説話論」的には結末が異なるだけの「類話」とみなし得ると述べている。あるいは夫が「名誉の戦史を遂げ金一千四百円を下賜されたる」女性に対する妬みが暴力事件に発展した事件。軍事扶助を出願しないことがしばしば「美談」になったが、その裏側からも「世間」のまなざしの暴力がにじみ出て見えて来る。「美談」の中の「戦争未亡人」は常に気丈に振る舞うが、こちらの記録からは彼女らに対する隠微なまなざしが暗く漂ってくるのだ。人々の悪意を暴露しようというのではない。銃後美談群にふれたとき、著者はある種のいたたまれなさ、息苦しさ、怖さ、切なさを感じたという。本書を読み終えて、私もその感じを理解した。多領域の読者に届いてほしい重要な本である。私たちもまた動員体制の「空気」の渦中に生きているのだから。
この記事の中でご紹介した本
みんなで戦争 銃後美談と動員のフォークロア/青弓社
みんなで戦争 銃後美談と動員のフォークロア
著 者:重信 幸彦
出版社:青弓社
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