【横尾 忠則】夢と日常と絵、これって三種の神器とは言わないですよね。言わない、言わない。|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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日常の向こう側ぼくの内側
更新日:2019年5月21日 / 新聞掲載日:2019年5月17日(第3289号)

夢と日常と絵、これって三種の神器とは言わないですよね。言わない、言わない。

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2019.5.6
 〈ボクハ蠅取リノ名人ダ。止マツテイル蠅ノ頭上15センチノ空間ヲ、サツト掴ムヨーニスルト、蠅ハヘリコプターミタイニ垂直ニ上昇スル習性ガアルノデ、ソノママボクノ握ツタ手ノ中ニ、スツポリト入ル。コノ芸当ヲ椹木野衣サンノ目前デ披露シタラ、驚イテクレタ〉。夢の中だけでなく現実でもこの方法で蠅を何十何百匹も取ったが、そのまま逃がしてやる。何が起ったかわからないまゝもうぼくの所には二度とやって来ない。

夕方、明日は取材があるのでピカビアでシャンプーとセット。

アトリエにて滝川クリステルさんと(撮影・徳永明美)
2019.5.7
 長くて暗い洞窟のような連休が終ったらメールがたまっていた。

『ゲーテ』で滝川クリステルさんのインタビューを受ける。彼女は朝日新聞の重ね刷りの書評を声を出してスラスラ読んだので、動体視力だかなんだか知らないがそんな視力の人らしい。話題は死生観についてのシリアスなテーマは彼女のルックスに似つかわしくない。

2019.5.8
 〈或ル日友人ラシイ人ト洞窟ノ中ニ入ツタ。ドコマデ続クノカ長クテ深イ奥ヘトドンドン入ツテイク。モウ何日モ洞窟ノ中ヲ歩キ続ケテイテ、何日カ経ツタ或ル日マンホールノ蓋ヲ開ケタラ外ヘ出テシマツタ。街ノド真中デ人モ車モ多イ。ドーモ中南米辺リノ都市ノヨーダ。ベネズエラカナ? ト地球ノ反対ノ国ニデテキタラシイ。辺リヲ見渡スト通リノ向コウニ日本寿司屋ガアル。ソーダ、アソコヘ行ケバココガドコカハワカリソーダ〉。夢はここで終ったが、ぼくの絵と同様、夢もいつも未完成である。
〈灘本唯人サンノ特集号ニ原稿ヲ書クコトニナツタ。死ンデイル灘本サンハ「エライ悪カツタナー」ト言ツテ嬉シソーニ笑ツタ〉

『アートコレクター』がスカイザバスハウスの取材に。

2019.5.9
 〈劇場ノ客席デ有名ラシイ学者ノ先生ガレクチヤーヲスルソーダ。何ヤラボクニハ興味ノナイ話ヲシナガラ、フトボクノ顔ヲ見テ、「私ハアナタヲ知ツテマスヨ」ト一言、言ツテマタ面白クナイ話ヲ続ケル。ソノウチ、ボクノ隣ノ席ニ座ツテ、モウ一度、「私ハアナタヲ知ツテイマス」ト言イナガラボクノ周辺ノ客席ノ人達ニマタ、面白クナイ話ヲ続ケテイル〉

こんな夢の記憶はあるが、昨夜はほとんど眠った意識はないが、まあこんなつまらない話の学者先生の話す夢を見ているのだから一瞬でも眠ったのかも知れない。毎日変りばえのない日常に対して夢は、まあこれとて日常の延長とそう変らないが、それなりの夢を見せてくれるので、退屈はまぎれる。絵を描く行為は考えてみれば夢を描いているようなものだから、絵も夢だと認識したっていいんじゃないかな。するとぼくには日常と夢と絵の三つの現実を生きていることになる。夢と日常を絵が結びつけているような気がするけれど、これって三種の神器とは言わないですよね。言わない、言わない。何んて言うの。

2019.5.10
 昨夜もよく眠れず、ぼくと枕を並べて寝ているおでんは過眠症で、こちらの睡眠を全部吸い取っている。

不眠解消の散歩がてらに喜多見のそば屋へ歩いていく。トロトロ歩いて15分。それでも随分労働をしたような気分だ。帰路は野川沿いの遊歩道を歩きながら、こんな日はUFOが出そうだな、――と思った次の瞬間ぼくの視線の前方に、強烈な光体。中央がオレンジ色で周囲が白銀色。光ると同時に消滅。その後は無の空間。何も出現せず。アイフォンをセットする間もない一瞬の出来事。まあ、これも白昼夢の一種でしょうか。夜見る夢と現実が同一空間で一瞬繫がったように思えた。

床に入っても昼間の光体が脳裏に残像として記憶、記録されたまま頭は覚醒。

2019.5.11
 昨日の覚醒体験が逆に不眠を解消してくれる。

キャンバスに向かおうとしても昨日の光体が頭の中のフィルムに焼きつけられて、絵が描けない。一層のこと、あの光景を絵にしてしまえば残像を消せるかも。

2019.5.12
 〈カツテノ木造建築時代ノ成城学園前駅前デ島田雅彦サント道ヲ歩ク人達ニ文庫本ヲ売リツケテイルケレド買ウ人ハヒトリモイナイ〉
〈地方ノ小サイ画廊ガ昔作ツタ版画ノ展覧会ヲシタイト言ウガ、全ク気乗リガシナイ〉。こういうたぐいの夢は現実にありそうだ。実際どこかの画廊で本当にやっているんじゃないかな。

絵を描き出すと楽しいけれど、絵から離れて、何もしない、だけど絵のことを考えている、こんな時間はまた格別に楽しい。老齢になると時間が経つのが早いので一刻一刻を大事にと言うが、ぼくはそんな時間を無駄に過ごすのも結構嫌いではない。老齢になるとこーいう時間は死を待つ時間というのだろうけれど、この時間がなんとも甘美なのである。なぜかわからんけれど。

夜、気分転換にマッサージへ。(よこお・ただのり=美術家)
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