中平卓馬をめぐる 50年目の日記(7)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2019年5月28日 / 新聞掲載日:2019年5月24日(第3290号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(7)

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芝居や映画ばかりを見歩いていて真摯に再受験を目指すでもなく、籍を換えた大学にもまた行く気がしなくなっていた私は、この先どうしたものか、迷走していたようだ。そんなふうに中平さんにも見えていたのだろうか。

はじめて会ったときからかれこれ一年が経っていた。中平さんは担当する寺山修司の小説「あゝ荒野」と、東松照明監修によるグラビア・シリーズ「I am a king 」の両連載に多忙だった。

しかしいつものようにいつもの喫茶店で映画の話をする時間はあった。その中で彼は
「会社を辞めてぼくは写真家になろうと思うんだけど、弟さんも一緒にはじめない?映画よりぼくたちには向いていると思うよ」
と、突然つよく言い始めたのである。
「映画は酒と喧嘩がつよくて大声を張りあげられなければつとまらない。あの撮影現場はぼくたちには向いていないよ。

そこへゆくと写真は一人だ。余計なことに気をとられなくてすむ」
といって、だから一緒にやろうよと誘うのだった。それは自分の決心をより固めるための誘いだったのかもしれない。

中平さんはその時、気持ちはもう「写真家」になっていたようだった。一緒に昼食をとるときも喫茶店で雑談で時間つぶしをするときも、いつも編集部に一台だけあった「ミノルタSR―7」(玄人好みの一眼レフカメラだったようだ)をぶらさげていたし、コーヒーを飲みながらも何くれとなくシャッターを押して「写真家」になっていた。カメラ操作の練習をしていたのかもしれない。

私は考えてもみたことがなかった「写真家」についてはどうしたものかと姉に相談した。すると姉もやはり私の迷走ぶりを感じていたのか、「そういう選択も面白いんじゃないの。落ち着くべきところに落ち着くって言う感じかもしれない」とあっさり言った。

だから翌日、私は中平さんに「写真家になります」と返事をした。
まったくなじみのなかった写真には躊躇があったが、もともと映画に関わりたかったのだし(ただし私は脚本家志望だった)同じようなものではないかと思ったのだ。

そして「じゃあどうすれば写真家になれるのか」とその方法をたずねた。

するとすぐにこう言った。
「日大の写真科がいいんじゃないかな。『写真家』として大学へ行くんだよ」
写真家として写真の勉強に行くんだという理屈だ。私はビックリした。でもそれほど筋の通らぬ話だとも思わなかった。

だから私たちは、そうしようと決めた瞬間から「写真家」になってしまった感じだ。撮影の仕方も現像の仕方も知らないのに、私たちは「写真家」同士になってしまった。

プロゴルファーとかプロカメラマンという呼び方を中平さんはいつも不思議だと言った。他人に分かってもらおうと思うからそういう肩書きが必要になるんだろうねえ、なぜアマチュア、素人と自分を区別したいんだろうねえ、と。
「プロ夫婦なんて言うかい? アマチュアの会社員なんてのもいないよ。

自分は写真家だと思えばそれが写真家なんだ。写真をとるやつが写真家、だね。写真家にはプロもアマチュアもない。他人がどう思おうと関係なし」というのが持論だった。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)

   (次号につづく)
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