【横尾 忠則】アートに意味も目的も義務もない。猫の生き方は即身仏に似ていて諦めを知る。|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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日常の向こう側ぼくの内側
更新日:2019年5月28日 / 新聞掲載日:2019年5月24日(第3290号)

アートに意味も目的も義務もない。猫の生き方は即身仏に似ていて諦めを知る。

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2019.5.13
 〈我家ガ学校ニ引越スコトニナツテ、教室ニ布団ヲ敷イテ家族生活ガ始マツタ〉
〈朝日新聞ノ記者ガ来テ、書評ノ重ネ刷リニツイテ質問サレル。適当ニ濁ス〉
〈老小説家二人ガ郷里ノ実家ニキテ、思兼命ニツイテ問ワレル。天ノ岩戸事件ヲ演出シタプロデユーサーノ神様デスト答エル〉

テレビ朝日「報道ステーション」がSCAIの個展を紹介したいと言ってくるが、戦争について語ってもらって、8月15日前後に放映したいというので、取材の筋が違う、と言って断わる。

ここ数日制作中断している。描けば面白いのができる自信はあるけれど、描けない、というか描きたくない。絵は描く義務などない。

たった3枚の書評を47枚書いてしまった。44枚没にする。「仕事」を忘れてしまって、絵と同じような作業をしてしまうのだ。
五木寛之さんと(撮影・安倍七重)

2019.5.14
 雨も悪くない。気持がシットリしていい。

『中央公論』で五木寛之さんと「生涯現役、その秘訣」みたいなテーマで丸ノ内ホテルで対談。秘訣などあるのかな、あるとすれば健康でしょう。五木さんは仕事の量が多いので、他力が仕事を処理してくれるそうだ。また最近は身体的行為を意識して行うと。水を飲む時も「飲むぞ!」、椅子に腰を掛ける時も「座るぞ!」みたいに。ぼくも絵を描く時は無意識より意識を優先しますね。

対談が終って直後、朝日新聞の吉村さんより、京マチ子さんの訃報を知らされて、コメントを求められる。

2019.5.15
 〈猫(タマ?)ガ大蜥蜴ヲ咥エテ来ル。離ソウトスルガ、怖イ。ソノウチ蜥蜴ガ別ノモグラノヨウナ小動物ニ変身シ、ソノ小動物ノ乳児ガ親ノオ腹ノ上デ眠リ始メタノデ、ソノ子供ヲ屋外ニ捨テルガ、ヤツパリ親ト切リ離スト可愛想ダト、ドーシヨウト思案スル〉

絵を描かない何もしない日が続いている。絵を描く時は頭は空っぽにできるけれど、何もしない時は頭の中は去来する妄想の大海の中。

2019.5.16
 〈ホテルノロビーデ安倍首相ト会ウコトニナツテイルガ、ソノ前ニアト1枚ニナツテイル原稿ヲ書キタイガ原稿用紙ガナイノデ薬局ノ処方箋ノ袋ノ裏ニ書コウト思ウ〉。夢はそこで覚めるが、もう少し見せてくれれば安倍首相との会見が伝えられたのに残念。

朝日の書評担当が西さんから今田さんに代ったので仕事の進行具合などを今田さんと打合せをアトリエで。

京マチ子さんと親しかった野上照代さんからのFAXで、京さんが「あかん、もうあかんわあ」が最後の言葉だったと。私ももう90歳であかん状態だと言うので、叱る。

2019.5.17
 〈日本語ノ話セル外国人ノ女性カラ、クリストガ自ラ大成功ダツタト言ウ個展ヲ観ニイカナイ? ト誘ワレル。何時何処? ト聞クト、明日ロンドンダト言ウ。気ガツイタラ、展覧会場ニヒトリデ来テイル。クリストガレクチヤーヲシテイタガ難聴デ聴コエナイ。作品モ見ナイデエレベーターニ乗ルガ、上ツタリ下ツタリデ中々止マラナイ〉。夢はどうして、不安がテーマになるのだろう。この手の夢は、きっと一種の不安の浄化作用に違いない。

神戸から横尾美術館の館長、蓑豊さんと理事長の山本亮三さん来訪。大した用があるわけではない。その最中、アトリエの台所に大きい青大将が現われて、徳永は仰天する。早速工務店に来てもらって蛇やネズミの出入口にしている壁の角の穴をセメントで補修してもらう。夢が日常化する一方で、家の中に蛇が現われるというような非現実的な事態こそ、よっぽど夢である。夢と現実の中間をアートの領域というのかも知れない。

それにしてもいつになったら絵を描き始めるのだろう。怠け心というのは中々甘味なものだ。もう少し続けよう。

2019.5.18
 いつの間にやら不眠は解消されているようだ。夢か幻か区別のつかない妄想は仏教的境地。

難聴になって以来、生活から音楽が失われたけれど、絵が音楽的になろうとしているのに気づく。オペラ的だ。重い腰を上げて五木流に「描くぞ!」と意識して描く。中断していた2点仕上げるが未完作品。

2019.5.19
 今週は仕事らしい仕事は対談くらいで、あとは無職状態だった。ありあまった時間は読書に当てるとか何か有効に使えばいいのかも知れないけれど、無為の時間をむさぼるのも有効である。何もしないことをすることこそ、最も創造的な行為である。アートにも意味も目的もなく、まして義務もないんだから、空の時間を遊べばいい。そして諦める。これって一種の悟りでは? 森鷗外の文学も諦観を良しとするところがある。何もしない猫の生き方は即身仏に似ていて諦めを知る。人生の黄昏れ期になると、こんな風に想うのも風流なもんだ(なんちゃって)。(よこお・ただのり=美術家)


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