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更新日:2019年5月24日 / 新聞掲載日:2019年5月24日(第3290号)

境界線上の英文学――ヒロシマでの大会開催に想う

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新天皇が即位し、平成から令和への時代の境界線に、第91回日本英文学会全国大会が、しかもヒロシマ、安田女子大学で開催されるのは偶然ではないように思える。英文学は時代の境界線にあってこそ力を発揮してきたように思う。明治には「英学」として〈何〉(制度・思想)を吸収した。しかし、〈何〉はその一部で、以降は、結果に至る〈プロセス〉、その認知・体系の多面性を追究した。昭和の敗戦、平成の震災を一人ひとりがどう受け止め、超えていくか、人生の岐路に立つ時、文学の幅が選択肢を示し、知恵となったのではないか。英文学は一ローカルから世界に向けた拡張の中で異種の言語、文化を孕み込み、「逆も真なり」の他者性を鍛えてきた。グローバリゼーションで均質化が強まる中、この力は(一極支配ではなく)思考の触媒軸として今まで以上にその意味合いを重ねてはいないか。敢えて「ヒロシマ」とした。広島は、1945年8月6日、チョーサーの天からの恵みの雨(shoures soote)ではなく、死の雨(“Death fell from the sky”by Obama,2016.5.27)が地上に降り注いだ。原爆で壊滅状態、そこから再生した一つのエヴィデンスを世界に示した。ヒロシマは、海外からの英文学者・詩人を引き付けた。当時、日本で英文学を教えており、戦争詩人としても名高いEdmund Blundenは、“HIROSHMA: A Song for August 6th,1949”でヒロシマの再生を謳った。最後の3行を引用する。
Where the glad dove of peace may rest,/ Where all may come from all the earth/To glory on mankind’s rebirth! (広島市立中央図書館前庭にある詩碑)。シェイクスピア研究者、Muriel Bradbrookは、原爆を間近に経験した桝井迪夫教授の招待で、1964年に広島大学文学部で記念講演、同時にHIROSHIMAの折詩を献じた。
Here by the calm blue/
Inland sea’s waves,/
Resting awhile, I saw /
On a soft day of spring,/
Shimmering sunlight,/
Hovering, /
Illumine the phoenix city / My thought will return /
Always to this place.
広島大学の旧キャンパス(東千田町)の正門前にはフェニックスの木がそびえ立ち、また同大学英文研究室の院生・卒業生の学術誌の名前もPHOENIX、今日まで続いている。日本英文学会中国四国支部大会でのシンポジウム、私が学部4年の時だったと思う、「フィロロジーはリングイスティックスから何を学ぶか」があった。「言語を通して文学を深める、文学を通して言語を深める」は支部、恐らくは全国の不易のものである。学部3年の時、山本忠雄博士が文学部で特別講演され、その後研究室でインフォーマルな会合があった。一人の先生が山本博士に訊かれた。「ディケンズで一番特徴的な言語を一つあげるとすると何ですか。」少し考え、答えられた。「flitです。蝶が花にひらひらととまってまたひらひらと飛び立っていく。」博士はディケンズ・レキシコンの資料を原爆で全て焼失し、戦後、資料を取り直してYamamoto (1950)を完成された。本英文学会全国大会は発表数が83件、令和元年、ヒロシマにおいて、英文学がコミュニケーション力を高める手段であると同時に、人間形成の手段でもあることを希望してやまない。
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