外山恒一連続インタビューシリーズ 「日本学生運動史」① もうひとつの〝東大闘争〟 「東大反百年闘争」の当事者のひとり・森田暁氏に聞く|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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もうひとつの〝東大闘争〟
更新日:2019年5月31日 / 新聞掲載日:2019年5月31日(第3291号)

外山恒一連続インタビューシリーズ 「日本学生運動史」①
もうひとつの〝東大闘争〟
「東大反百年闘争」の当事者のひとり・森田暁氏に聞く

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今年一月は、〈東大安田砦攻防戦〉五〇周年にあたった。日本の〈六八年〉における学生叛乱の象徴的な出来事として、現在でもテレビや新聞、雑誌などで報道されることも多い。ここから、さらに〈連合赤軍事件〉を経て、運動は衰退を迎え、全共闘運動は消滅したかのようにとらえる向きもある。しかし、運動はその後もつづいた。昨年『全共闘以後』を上梓して話題を呼んだ外山恒一氏は、そのような七〇年代以降の学生運動に関する取材、考察を継続中である。

六八年の闘争と比べると、一般にはほとんど知られていないが、一九七〇年代後半から八〇年代前半にかけて、〈東大百周年記念事業〉に反対する大きな運動が、学内で巻き起こった。東大闘争からほぼ一〇年にあたる時期である。その当事者のひとりである森田暁氏に、外山氏がインタビューを試みた。果たして〈もうひとつの東大闘争〉とも言われる運動は、いかに立ち上がったのか。七〇年代の運動の歴史も合わせてお話しいただいた。 (編集部)
第1回
内ゲバを逃れて

「東大反百年闘争」の際に、本郷構内に置かれた〈立看〉(写真奥に見えるのが安田講堂玄関、1981年撮影=推定〔2面も〕)

森田 
 『全共闘以後』を私はまだ読んでなくて、今ここで初めて手に取ってパラパラと見たところですが、こういうものを書けばあちこちから叩かれるに決まってるわけで、「ここが違う」「あそこが違う」って。
外山 
 そうそう(笑)、〝回収〟騒ぎというのは要はそういうことなんです。
森田 
 まず私自身の自己紹介をしておくと、一九七一年に東大駒場に入学して……。
外山 
 何年生まれなんですか?
森田 
 一九五二年(昭和二七年)生まれで、現役で東大に入ってます。出身校は、開成中学・高校です。一九六九年には、首都圏の名の通った進学校というのは公立でも私立でも大概は高校紛争があったんですけど、開成だけがたぶん唯一の例外で、何も紛争がなかったんですよ。
外山 
 へー、それは知りませんでした。
森田 
 先日、〝東大闘争五〇周年〟に関連した集会が安田講堂であったのですが、その三次会で、高校闘争の世界の著名人である大谷行雄さん〔註1 翻訳家、元社学同系高校生組織高安闘委(高校生安保闘争委員会の略だと思われる)六九―七〇年委員長。〕と同席しました。当時は教育大附属駒場(現・筑波大学附属駒場)の生徒で、四方田(犬彦)さんの一学年上ぐらいにあたる時の高校生運動の有名人です。彼にいろいろ訊いてみたんです。そしたら、やっぱり開成にも当時いろんな形でオルグをかけようとしてたらしいのです。だけど開成は〝鉄壁〟で、中に入ることもできなかった、って。開成の近所では、小石川高校がML派の拠点として有名でしたね。他の都立高校では、青山高校の反戦高協(中核派の高校生組織)は有名だったし、戸山高校は革マルだったり(反戦高協から転換)、いろいろあったんですけど、それは私は後から聞いて知った話で……。ともかく私は七一年に東大駒場に入って、その後ずっと落第してまして、駒場に五年いたから本郷進学は……七六年か。さらに本郷にも四年いて、だから八〇年までですね。その後半の時期に、当時小学生だった(本紙編集長の)明石さんが、ぼくらが座り込み(事実上の占拠)していた場所をご訪問されてるんです(笑)。
明石 
 ええ、あれは五月祭でしたっけ?
森田 
 うん、五月祭。
明石 
 本郷の五月祭に遊びに行った時、普通そんな場所に小学生はウロウロしてないから珍しがられて、東大生らしきお兄さんに「ちょっとこっちに来い」と言われて、ついて行くとそこは学生たちが占拠してた文学部長室でした。確か、入口の扉には小窓がついていて、入室するためには、ノックをして、中から顔をチェックされていたんじゃないかな。何がどうなってるのかよく分かりませんでしたが、普通ではない事態が起こっていることだけは、幼心にも理解しました。
森田 
 麦茶をもらって飲んだんでしょ?
明石 
 はい。
森田 
 だったらもう「共犯者」ですよ(笑)。……そんなわけで、私が知ってるのは七〇年代の、東大全共闘が解体した後にノンセクトがまた再建されていく過程、ということになります。それは最終的には一九七四年秋に革マル派に叩き出されるんだけど、そこらへんの三、四年間の状況ですね。大学時代の半ば頃は、私は中核派に行ってしまったんですよ。内ゲバが怖いから中核派に逃げたわけです。
外山 
 ん? ああ、革マル派の脅威から避難するために、革マルと内ゲバをやっている当の中核派に入ってしまう、と(笑)。
森田 
 だって駒場にいれば……私も、殺された金築〔註2 金築寛。七三年九月一四日、解放派=革労協の拠点だった神奈川大を革マル派が襲撃、革マル側に二人の死者が出たうちのひとり。当時二三歳の東大生。「いちばん仲の良かった金築寛君は〔…〕神奈川大学で敵対党派のリンチにあって死んだ」(内田樹『「おじさん」的思考』より)〕にオルグをかけられてたし、革マルには知り合いがたくさんいましたから。解放派にはあんまり知り合いはいなかったけど、とにかくこっちはノンセクトで、毎日のように陰に陽に革マルに恫喝されるわけじゃないですか。そこから逃れるためには、むしろこっちも党派の部隊に入るほうがラクだったんですよ(笑)。本郷の文学部に進むと(この頃には中核派とはまったく無縁になっていました)、ぼくはおっとり刀で後から参加するんだけど、ぼくのひとつ上だったか、ちょっと変わった奴がいて、彼がまったく違う流れで学生運動を始めるんですね。もうほとんど運動を離れてたようなロートル連中に「お前も来い」って声をかけて集めて、本郷で会議をやって「東大反百年闘争」というのを作っちゃうんです。Sって奴なんですが、相当な力量ですよ。……ただ、私が学生運動に関してわりと詳しいのは、そういう界隈にいたからではなくて、要するに〝酒場〟なんです(笑)。二五年ぐらい前に衆院議員をやってた長谷百合子という人(八九年の参院選と九〇年の衆院選で土井社会党が大勝した、〝マドンナ議員〟ブームで当選したひとり)は知ってますか?
外山 
 ええ、だいぶ前に一度だけ、ゴールデン街のお店に行ったことがあります。あれは何というお店でしたっけ?
森田 
 「ひしょう」ですね。あの店に、これはまったく運動関係ではない単に学科の先輩に連れて行かれて、そこでとにかく学生運動系の有名人にいっぱい会うわけです。その結果、各世代の人たちがどんなふうに考えてたのか聞くこともできたし、そういう〝聞いた話〟と自分が直接知ってる話とが混じってるところがあります。
外山 
 長谷百合子さんも、やっぱり〝元・活動家〟とかなんですか?
森田 
 お茶の水女子大の中核派ですよ。六九年九月に、日大闘争が潰された後の〝奪還闘争〟〔註3 機動隊によって解除されたバリケードを再建する闘争。〕で、経済学部の建物だったかな、突入して逮捕されてるんです。今現在、彼女は体をこわして、もう一〇年くらい身動きがとれない状態ですけど、彼女のことは伊藤隆がちゃんと本にまとめてます。右翼の伊藤隆。彼は〝オーラル・ヒストリー〟の専門家でしょ。元々は長谷百合子の先生なんです。それもあって長谷百合子は議員をやっていた最後の二、三年、完全に〝極右〟になりますからね。靖国神社の昇殿参拝にまで行ってましたよ。そのことと関係あるかどうか分からないけど、〝昔話〟をちゃんと語ってて、本というか冊子になってるんで、国会図書館とかに行けばありますよ。……まあそんな話はともかく(笑)、何から話せばいいのか、外山さんにお任せします。
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この記事の中でご紹介した本
全共闘以後/イースト・プレス
全共闘以後
著 者:外山 恒一
出版社:イースト・プレス
以下のオンライン書店でご購入できます
「全共闘以後」出版社のホームページはこちら
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