追悼 ジャン=ピエール・リシャール 批評をスリリングなジャンルへと生まれ 変わらせた批評家 芳川 泰久|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年5月31日 / 新聞掲載日:2019年5月31日(第3291号)

追悼 ジャン=ピエール・リシャール
批評をスリリングなジャンルへと生まれ 変わらせた批評家
芳川 泰久

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今年の三月十五日に、ジャン=ピエール・リシャールが逝った。「ル・モンド」紙によれば、享年九十六。訃報に接し、いまの日本では報道さえなされないだろうと思った。そのことさえ忘れかけていたとき、「読書人」から追悼文の依頼が舞い込んだ。リシャールを忘れていない編集者がいたのだ。

二十世紀の後半にフランスで起こった〈ヌーヴェル・クリティック〉の先駆けでもあり、批評をスリリングなジャンルへと生まれ変わらせた批評家でもある。日本には、『詩と深さ』などを通じて詩論が紹介され、やがて蓮實重彥の『批評あるいは仮死の祭典』に収められたリシャール論を通して、その輪郭は知られることになったが、いかんせん主著で大部の『マラルメの想像的宇宙』(一九六一年)の訳出が二〇〇四年と遅れたし、フローベールを論じた『フローベールにおけるフォルムの創造』(一九五四年)の訳出が二〇一三年だった。これを訳したのは自分だから、タイムリーな紹介がなされなかった責任の一端は、こちらにもある。

リシャールが、海外での教鞭を経てパリのヴァンセンヌ大学に赴任したのが一九六九年、学部三年生だった私が読書会で『マラルメの想像的宇宙』を読みはじめたのがその数年後だ。リシャールはやがてソルボンヌに移り、一九八四年まで教鞭を執ったが、本人の述懐によれば、およそ大学人らしからぬ「アマチュア」を貫いたという。

はっきり言って、フランス語を学び始めて三年目でいきなり『マラルメの想像的宇宙』を読むのは無謀である。プロのピッチャーの容赦のない球を高校の球児が打とうとするようなものだ。毎回、ページは準備で真っ黒になった。読書会は五時間を超えることも間々あった。不思議なもので、それでも三分の一を過ぎたあたりから、リシャールの投げる球に目は慣れてくる。その文章についていく苦しさが心地よくなった。いま思えば、名人の技をひたすら見て覚える職人のように、自分はリシャールを読みながら、そのフランス語を身体に通したのだ。そこで初めてふれた単語には、いまだに当時の記憶がまとわりついている。

皮肉なことに、こちらが学生を終え、リシャールを紹介できる状態になった地点から見ると、リシャールは絶頂期を過ぎていた。『ロマン主義研究』、『セリーヌの嘔吐』、『プルーストと感覚的世界』に、フローベール論やマラルメ論に感じた刺激はもう受けなかった。その態勢を立て直したのが、『ミクロレクチュールⅠ・Ⅱ』あたりではないか。同書の二冊目には、「ページ・風景」という視点が切り出されていた。いうまでもなく、フランス語で「ページ(pages)」と「風景(paysages)」は韻を踏んでいる。そこに、テクストのフォルム(形式)と内容(意味)との切れない在りようが示唆されていて、現代文学に限らない広範な時代の作品をも批評し得るテクスト論の可能性が刻まれていた。

私の経験からいえば、いくら先端のテクスト論を吸収しても、十九世紀の小説に向き合うとき、知見にしても技術にしても、使えないもの、使っても意味をなさないものが山ほどある。対象と向き合いながら、何が使えて、何が使えないかを取捨選択することじたいが必須の作業となるのだが、テクスト論的批評の視点からすれば、それは鋭さを自ら放棄しているようにしか見えない。そこをリシャールは、「ページ」と「風景」を重ね合わせることでソフトなテクスト論のあり方を切り開いたのだ。

私見では、それがもっとも見事に結実しているのがそのあとに上梓された『事物の状態』(一九九〇年)である。そこでは、リシャールが現代小説をまさに同時代の批評家として読んでいる。ジャック・レダをめぐる「草のある情景」、ジェラール・マセを論じた「外套と墓」、パスカル・キニャールを語る「感覚・衰弱・クリチュール」にはことのほか感激し、また同時に心の底から揺さぶられた。日本のテクスト論には、その身体を通してにじみでてくるような、それでいて嫋やかなテクスト論がない。レダ論では、草や植物や鉄道といった風景が同時にいかに音韻によって編まれているかを示し、そこから詩人が風景を言葉として食んでいる姿が浮かび上がってくる。その浮かび上がる過程そのものに、読者はリシャールの言葉を通して居合わせるのだ。その一体化を可能にする批評の言葉を、リシャールは差し出していた。

とはいえ、当時、リシャールの論じた作家はまだほとんど日本に紹介されていなかった。加えて、フランス小説じたいの需要がアメリカ小説に押されて冷え込んでいた。私は自らの感激をしまい込むほかなかったが、レダにしてもマセにしてもキニャールにしても日本語に紹介されているいま、リシャール批評が翻訳される好機かもしれない。いや、翻訳されても、批評じたいを受けとめる土壌が見当たらないのが現状であれば、追悼にはなりきらないではないか。(よしかわ・やすひさ=早稲田大学文学学術院教授・フランス文学)

ジャン=ピエール・リシャール(作家、批評家)。三月十五日、パリで死去した。享年九十六。

一九二二年、マルセイユ生まれ。エコール・ノルマルに学び、アグレガシオン(高等教授資格)を取得。パリ第四大学ソルボンヌ校教授等を務めた。『文学と感覚』以来、一貫してテーマ批評の方法に基づくエッセイを書く。著書に『フローベールにおけるフォルムの創造』『詩と深さ』『マラルメの想像的宇宙』『ロラン・バルト 最後の風景』など。
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