キュビスム芸術史 20世紀西洋美術と新しい〈現実〉 書評|松井 裕美(名古屋大学出版会 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年6月1日 / 新聞掲載日:2019年5月31日(第3291号)

キュビスム芸術史 20世紀西洋美術と新しい〈現実〉 書評
キュビスム芸術の全貌に迫る大著
幅広い領域の読者に訴えかける――キュビスム研究の道標

キュビスム芸術史 20世紀西洋美術と新しい〈現実〉
著 者:松井 裕美
出版社:名古屋大学出版会
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 キュビスムは、二〇世紀美術においてきわめて重要な役割を果たしたことに異論の余地はないものの、その実、一筋縄ではいかない芸術運動である。その名称の語源となった立方体が当てはまる作品は初期に限られ、その後難解な様相を示したうえに、ナショナリズムが絡んだ激しい批判にさらされたことも一度や二度ではない。こうした捉え難さから、日本でキュビスムに正面から取り組んだ研究は稀であった。国外のキュビスムの先行研究でも、パブロ・ピカソが《アヴィニョンの娘たち》を制作した一九〇七年から第一次世界大戦が勃発する一九一四年までの間を、ピカソとジョルジュ・ブラックを中心に論じる傾向が長らく続いた。しかし、キュビスムは実際には、第一次世界大戦をもって唐突に終わったわけではなく、大戦以降も国境を越えながら様々な形で生き続け、繰り返し議論の対象とされたのである。

こうして一九八〇年代以降キュビスム研究が多様化してきたわけだが、本書は、そうした国際的な研究動向を踏まえながら、(一)一九〇七年から第二次世界大戦後の一九四七年まで年代的なスパンを長く取り、(二)ピカソとブラックにとどまらず、日本ではあまり知られていないピュトー・グループの芸術家たち(ジャン・メッツァンジェ、アルベール・グレーズ、アンリ・ル・フォーコニエ、ジャック・ヴィヨン、レイモン・デュシャン=ヴィヨンら)にも光を当て、(三)言葉(理論・言説・文学)とイメージ(表象)の相互的な関係性のもとに、キュビスム芸術の全貌に迫った七〇〇頁近い浩瀚な大著である。フランス近現代美術の新進気鋭の研究者である著者の松井裕美氏は、キュビスムに関する膨大な文献を博捜し、アーカイヴの貴重な素描や未刊行の手稿・書簡などの綿密な調査を行った。

五部一〇章から成る本書は、おおむね時系列にしたがって記述されており、第Ⅰ部がキュビスムの誕生、第Ⅱ部が文学との関係から見た総合的キュビスムに至る展開、第Ⅲ部が第一次世界大戦期、第Ⅳ部が両大戦間期の「秩序への回帰」とキュビスムに端を発した芸術運動(ピュリスム、絶対主義、新造形主義……)の国際的な拡がり、第Ⅴ部が第二次世界大戦前後を扱っている。とりわけ素描をキュビスムの造形的分析の基盤とし、そこから絵画や彫刻を論じていく手法は、ペペ・カーメルの先行研究(『ピカソとキュビスムの創出』二〇一三年)とも共通するが、カーメルの研究対象が第一次世界大戦前のピカソの作品に限定されているのに対し、本書は射程を大幅に拡げて総合的に考察している。

キュビスムにおいては、自然から抽出された絵画的な現実を「概念の現実」と呼ぶ。この「概念の現実」を発見した芸術家たちは、三次元的な人体を二次元的な幾何学(解剖学と比率のダイアグラム)で捉えることから始め、やがて生物と無生物のアナロジー(類比)を見出すことが可能な異質なもの(例えば、人体と楽器)を同一平面上に並置したり重ねたりすることで、総合的キュビスムを生み出していく。本書の白眉は、松井氏がフランスの博士論文で取り上げたピカソとデュシャン=ヴィヨン(マルセル・デュシャンの兄)の素描の精緻な分析を通して、美術解剖学との密接な関係(第2章)や、機械と有機的身体の融合(第4章)などを説得力をもって明らかにするくだりであろう。本書の特色の一つは、ジョン・ベンダーとマイケル・マリナンの『ダイアグラムの文化』(二〇一〇年)に倣って、ダイアグラムを、いわゆる図式的なものとしてだけではなく、「異なる現実の描写方法を並置することで、それを読解しようとする者に新たな認識を与える道具」として幅広く捉え、そこからキュビスム自体を現実認識のダイアグラムと見なす点にある。

ただ、第Ⅳ部と第Ⅴ部になると、キュビスムの理論化・歴史化の過程を考察するにせよ、言説の分析に偏り気味で、ややもすると作品分析が後景に退きがちなので、第Ⅰ部や第Ⅱ部のような言葉(言説)とイメージ(作品)の密な往還をもっと見てみたかったように思う。その点は今後に期待したい。

とまれ本書は、造形的分析にとどまらず、文学や思想、政治社会など多様な分野とキュビスムとの関わりを検討することで、美術史だけではなく文学・科学・思想など幅広い領域の読者に訴えかけるものである。松井氏が、キュビスム研究の道標ともいうべき本書を上梓したことを、心より喜びたい。
この記事の中でご紹介した本
キュビスム芸術史 20世紀西洋美術と新しい〈現実〉/名古屋大学出版会
キュビスム芸術史 20世紀西洋美術と新しい〈現実〉
著 者:松井 裕美
出版社:名古屋大学出版会
以下のオンライン書店でご購入できます
「キュビスム芸術史 20世紀西洋美術と新しい〈現実〉」出版社のホームページはこちら
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