嶽本あゆ美戯曲集 太平洋食堂 太平洋食堂/彼の僧の娘―高代覚書― 書評|嶽本 あゆ美(ハーベスト社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年6月1日 / 新聞掲載日:2019年5月31日(第3291号)

嶽本あゆ美戯曲集 太平洋食堂 太平洋食堂/彼の僧の娘―高代覚書― 書評
歴史に対する「再審」の試み
今日の日本社会の不自由さを二重の意味で指し示す

嶽本あゆ美戯曲集 太平洋食堂 太平洋食堂/彼の僧の娘―高代覚書―
著 者:嶽本 あゆ美
出版社:ハーベスト社
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実は書評者自身が芝居に関わっていることもあり、本書は歴史と芸術にかかわる同時代性(とその困難)を強く印象づけられ、また大いに励みとなった。読後、嶽本あゆ美という人物は実に、並の芸術家ではないことが分かった。端的に彼女は、現在の芝居(芸術)の可能性への問いを、同時代に生きる私たちの思考の、また実践課題の中心に据えている。簡潔に言えば、いわゆる政治活動でも言論活動でもない、なぜこの時代において芝居なのか!という問いである。そこで嶽本が狙っているのは、やはりリアリズム演劇でもなく、いわゆる政治宣伝のための、また社会運動のための芝居でもない、別の何かである。二一世紀の今、芝居はもはやリアリズム(出来事の再現)にとどまってはいられないのであり、また安易に過去の歴史をして今を批判するツールにする、ということもできない。ところで、本書の解説者を近代日本史家の成田龍一が担当しているように、嶽本の試みとは、敢えて語弊を承知で言ってしまえば、歴史に対する、取り分け日本近代の歴史にかかわる「再審」の試みである。そこで、大逆事件である。正確を期すれば「明科事件」という名称となるのだが、この事件の「後」の影響は実に計り知れない。いわば、今日の日本人の脳髄に巣くう目に見えない「くびき」を残したとも言える。この「くびき」との闘いは、先に述べたように、リアリズムでないもの、狭義の政治でもない社会運動でもない別のアングルと方法論をまさに必要とする。劇団「野戦之月」の桜井大造が述べているように、芝居の時間は数直線のように過去から現在として未来へと延びる「実数」に親和するのではなく、むしろその数直線から九十度上方に立ち上がる垂直の時間、つまり「虚数」を実現しなければならない、ということだ。

先に書評者は、半ば不用意に歴史の「再審」と記したのだが、ここで問われる「再審」とは、いわゆる法廷という場、あるいは法廷の比喩としても成立しないものである。芝居という器、あるいはその方法を試すのであれば、やはり再審の「場」そのものが変わらなければならない。そうしなければ、もはや同時代におけるリアルな「再審」にはならない。だからこそ『太平洋食堂』は、いわばその「再審」のプロセスを食堂=広場において料理=実験する試みなのだ、と言えよう。加えて、解説者成田龍一が誠之助の台詞――レシピ=調理法を「生活の処方箋」とした点に注目したように、この「レシピ」もまた重要なキーワードとなる。すなわちそれは、同時代において有効な芸術や議論の方向性とはどのようなものであるか、という問いと確実に共振するものである。

さて本書は、「太平洋食堂」の続編たる「彼の僧の娘―高代覚書―」の脚本を収録している点についても論じる必要がある。さきほど「くびき」という言葉を敢えて置いたのであるが、実にこの「くびき」を解くには、むしろ事件の「その後」の被害者やその子孫、また逆に特高たちの行き方を追うことが肝要となる。嶽本自身が「明科事件」の後を生きる子孫の方にむしろ強烈な関心を持ったことは、端的に芸術家としての強い個性と傾向を示すのであるが、このような姿勢こそ今日の並の芸術家において最も欠けていることである。今日、芸術家を名乗り活動することは、逆に、私たちの今日的生の不自由さ(くびき)を最も表現してしまう可能性もある。自由の意味がひっくり返るのだ。その意味で、嶽本あゆ美の試みは、今日の日本社会の不自由さを二重の意味で強く指し示すものともなっている――このように私は思う。
この記事の中でご紹介した本
嶽本あゆ美戯曲集 太平洋食堂 太平洋食堂/彼の僧の娘―高代覚書―/ハーベスト社
嶽本あゆ美戯曲集 太平洋食堂 太平洋食堂/彼の僧の娘―高代覚書―
著 者:嶽本 あゆ美
出版社:ハーベスト社
以下のオンライン書店でご購入できます
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