目覚めたまま見る夢 20世紀フランス文学序説 書評|塚本 昌則(岩波書店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年6月1日 / 新聞掲載日:2019年5月31日(第3291号)

目覚めたまま見る夢 20世紀フランス文学序説 書評
夢の持つ不思議な力に魅せられて
「目覚めたまま見る夢」こそ詩の生まれる場所

目覚めたまま見る夢 20世紀フランス文学序説
著 者:塚本 昌則
出版社:岩波書店
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「夢は第二の人生である」と言ったネルヴァルをはじめ、フランスでは一九世紀ロマン主義の時代以降、多くの作家が夢に魅せられてきた。覚醒時の世界を支配する合理性、一貫性の軛から解き放たれ、終わることのない生成変化のなかにあるこの世界では、時間も空間も〈私〉を制約しない。「いま・ここ」に否応なく縛られている覚醒時とは異なり、異なる時間と空間へと無限に開かれている。〈私〉のなかで起こりながらも、〈私〉には制御できない変容と展開の力に満たされたこの世界に、作家たちは日常的自我を超越する可能性を探究してきた。

しかし二〇世紀になると、睡眠時に見る夢は、もはや作家たちの切実な興味の対象ではなくなる。夢を無意識との関係ではなく、あくまで目覚めた意識との関係でとらえるようになるからだ。ヴァレリー、プルースト、ブルトンなどが飽くなき関心を寄せるのは夢そのものではなく、夢の持つ不思議な力を、覚醒時の明晰な意識を保ったまま解き放つことだ。眠りのなかで夢に溺れるのではなく、夢のような魔術的な現実を覚醒時の生活のさなかに体験することだ。本書が扱うのは、この「目覚めたまま見る夢」を創作の重要な源泉とした作家たちである。

ヴァレリーはロンドン橋の上から川の流れを眺めているとき、見慣れているはずの光景や物事がまったく知らない別のものに感じられる状態に陥る。いつもと同じ日常のただなかにいるのに、不意に自分が何者なのか、どこにいるのかわからなくなり、目の前に広がるありふれた世界が、いままさに新たに形成されつつあるものとして立ちあらわれてくる。〈私〉は目覚めたまま確かに「ここ」に存在しているが、同時に「ここならざる場所」の生成を目の当たりにしているのだ。放心によって通常の意識が中断され、夢の働きにつつまれた覚醒状態が実現される瞬間こそが、詩の生まれる場所にほかならない。

プルーストがその小説で繰り返し描くのも、完全に目覚めた状態にありながら、覚醒時の〈私〉を限界づける制約から抜け出す経験である。紅茶に浸したマドレーヌを口にした瞬間、〈私〉が生きる現在のただなかに、現在とは異なる時間=過去がよみがえってくる。「いま」が「いまならざる時」に開かれ、二つの時間が衝突することによって、〈私〉のなかに新たな精神的現実が作り出されることになるのだ。

そしてブルトンが超現実と呼ぶものも、揺るぎない秩序に支えられた現実のただなかに裂け目を穿ち、別の時間、別の場所を流入させる試みである。それによって認識に課せられた制約にすぎない現在の生活を解体し、そこに閉じ込められていた精神の力を解き放とうとするのだ。

二〇世紀前半のこれらの探究は、世紀後半にはサルトルやバルトのイメージ論へと引き継がれていくだろう。イメージにもまた「目覚めたまま見る夢」の側面がある。その場にないもの、もはや存在しないものを志向し、それをいまここにいる〈私〉のなかにありありとよみがえらせようとする意識の姿勢がイメージなのだから。

目覚めたまま見る夢は、眠りのなかで見る夢の対極にある。それは覚醒のなかのさらに鋭い覚醒、覚醒時の意識が強度を増して新たな認識へと到達する瞬間なのだ。本書はそのことを魅力的かつ説得的な論考でわれわれに示してくれる。
この記事の中でご紹介した本
目覚めたまま見る夢 20世紀フランス文学序説/岩波書店
目覚めたまま見る夢 20世紀フランス文学序説
著 者:塚本 昌則
出版社:岩波書店
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