卑弥呼、衆を惑わす 書評|篠田 正浩(幻戯書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年6月1日 / 新聞掲載日:2019年5月31日(第3291号)

卑弥呼、衆を惑わす 書評
日本人と日本国家の、  世界でも稀な独自性

卑弥呼、衆を惑わす
著 者:篠田 正浩
出版社:幻戯書房
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卑弥呼、衆を惑わす(篠田 正浩)幻戯書房
卑弥呼、衆を惑わす
篠田 正浩
幻戯書房
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一九四五年八月十五日の昭和天皇の終戦の詔勅を、この書の著者は、徴用先の軍需工場の作業場で聞いた。中学三年。その年、著者は「魏志倭人伝」と出会い、それまで教えられてきた古代日本とは異質な光景を目にし、強烈な印象を受けた。天皇の玉音と卑弥呼の鬼道から発せられたことばが、約千七百年の時を隔てながら一つに重なって聞こえたという。

『古事記』、『日本書紀』をはじめとする史書、研究書への緻密な読みと幅広い視野、考古学、歴史学の成果、ときには映画までへと、万全の目配りによって、書きあげられた日本通史である。

どこまでも国内の考古学資料と史書を中心に、必要に応じて海外資料をも参照した考察が続く。
福岡市板附遺跡の出土品から見る弥生時代の開始、北九州地方の弥生時代の甕棺墓から出土する鏡・玉・剣の三点セット、鏡を憑代にしたアマテラス信仰とは無縁だった出雲王国、六世紀の天然痘の伝染が天皇家の祭祀の重心をアマテラスから仏教へと転移させた、日本の古代史家は卑弥呼を「日ノ御子」と神聖化し、その極点にアマテラスという絶対神が形成された、近世になってアマテラスを拝むことが身分の障害を不可視化させた、大東亜戦争は、現人神を信仰した日本人による宗教戦争の側面もあった、などなど、最新の学説を消化して生み出された著者の知見が並べられる。

その間、現代中国の共産党幹部の汚職に対する痛烈な批判、自身の中国訪問の見聞録、戦時中の体験談などが挿入されて、読み手を飽かせることがない。

「魏志倭人伝」が記す邪馬台国と卑弥呼を、時所を限定した史実の記載と見ると議論は沸騰して収まりがつかない。中国の史書は「白髪三千丈」式の誇張が多く、また情報入手の手段に限界のあった当時、この書の著者陳寿が、古代日本について正確な知識を持っていたとは考えられない。

本書の著者はきわめて独自の史観を形成している。「魏志倭人伝」の卑弥呼の記述に合致する記述を日本の正史に見出すことはできない。その事実が著者を惑わしてきた。本書の書名の由来でもある。しかし、いま、著者は、皇統を「絶対神聖」とする「集合的無意識」が作用して、原始神話と現代社会が通底する世界でも稀なクニと思い至って、納得するのである。そこには、四方を海に囲まれ、一万年に及ぶ縄文期の民族的同一性を保持してきた倭人が、武力による決着ではなく、「共立」を選んだ、その「共立」がのちに保たれたとする、著者の日本人観が根底にある。

見方を変えれば、「魏志倭人伝」は古代日本の風俗・文化をかなり正確に伝えた書である。卑弥呼とその弟の統治形態の記述は当時の越人、倭人社会の、太陽、稲魂に代表される大地の信仰についての正確で信頼できる記録であり、日本の天皇制の本質、永続の理由の由来を説明している。

読者は、この書から、日本人と日本国家の、世界でも稀な独自性を学ぶことになるのである。
この記事の中でご紹介した本
卑弥呼、衆を惑わす/幻戯書房
卑弥呼、衆を惑わす
著 者:篠田 正浩
出版社:幻戯書房
以下のオンライン書店でご購入できます
「卑弥呼、衆を惑わす」出版社のホームページはこちら
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