中平卓馬をめぐる 50年目の日記(9)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2019年6月11日 / 新聞掲載日:2019年6月7日(第3292号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(9)

このエントリーをはてなブックマークに追加

私の平塚の生活は、中平さんの写真へ向かう気持ちをつよめるきっかけになった。

平塚の友人はもとからの地元育ち、その友人たちも同じでみな東京の大学へ通っているのに授業が終わるとなぜかそそくさと夕方の平塚に帰ってくる。あのあたりの人たちは帰巣本能がつよいようだ。それは逗子や鎌倉地域の場合にもいえて、「地元は気が楽だという意識が染みついているのかなあ」と言うと、
「だから大物が生まれない。自分の所に満足している、田舎のくせに田舎だと思っていないから競争心も薄いんだね」
と、中平さんはケラケラ笑った。

そんな平塚・茅ヶ崎で私が一緒に遊んだグループはみな車マニアで、夜になるとたぶん父親のを拝借してくるのだろうが友人の家の前に車を並べた。ただひたすら江ノ島へ向かう海岸の道を走る、というのが彼らの幸せだった。私もよく乗せてもらって夜の海岸線を走ったが、友人たちが途中で休憩と称してちょっと車を停めるところがオープンしたての「パシフィックパーク茅ヶ崎」で、そこのデッキに座ってコーラを飲む彼らはきっと50年代のアメリカ映画の中にいたことだろう。ただし、その頃の新世代で「ティーンエージャー」と名づけられた若者たちの日常をとらえた、ブルース・ダビットソンの「ブルックリン・ギャング」という出色の写真作品に見られるような、反抗心や日常へのやるせなさ、毒気は彼らにはまるでなかったけれど。

少しのあいだ夢の世界に遊んだ彼らはまた車を連ねて走り出す。

そしてあるとき私は薄暮の遠方にぼやーっと並ぶ廃墟か砦のような、コンクリートの塊を見つけた。
「あれは何だろう」というと、同乗の友人たちも身を乗り出して見つめ、「新しい辻堂団地、だと思う。まだ工事中だね」と教えてくれた。「昼間でも幽霊団地みたいに見えるよ」とも。あとで確かめると、そこは在日米海軍辻堂演習場跡地だった。広いはずである。私が平塚の生活に移ってはじめて体験する、あたりにはまるでなじまぬ異境感だった。

私はその話を中平さんにした。

その反応が数ヶ月後の
「ほら、いいでしょ。いやあ不便なところだったよ」
と、幽霊団地をうつした写真ページを私に見せて上機嫌な表情だった。

駅からは遠い。バス路線もまだ人が住んでいないのだから準備されていなかった。そこに行き着いて撮影地点を探すのには、たっぷりと半日はかかったことだろう。

だがその不便をいとわなかった「成果」が、東松照明の「I am a King」に載った「柚木明」名の写真だ。靄に包まれて、不気味とさえ思わせる同じ形をしたコンクリート塊の群立。幻想的とも言えそうな風景。

中平さんは、欧米の黒白映画が疑似夜景撮影でつくりだす、あえかな光の輝きが好きだった。同じ意味でその無人の団地を包む、世界を見放すように心を閉ざした感じの光も好きだったようだ。モノやコトよりもそっちの方が好きだったのだと思う。「そうでしょう?」と聞いたことがある。すると、
「雰囲気写真、と見られるようではダメだけどね」
と、少し自虐風にこたえた。

しかしなんにしろ、その「柚木明」こそ、中平さんが写真家になる気持ちをつよめさせた「人物」だったに違いない。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)  (次号へつづく)
このエントリーをはてなブックマークに追加
柳本 尚規 氏の関連記事
中平卓馬をめぐる 50年目の日記のその他の記事
中平卓馬をめぐる 50年目の日記をもっと見る >
人生・生活 > エッセイ関連記事
エッセイの関連記事をもっと見る >