新記号論 脳とメディアが出会うとき 書評|石田 英敬(ゲンロン)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年6月8日 / 新聞掲載日:2019年6月7日(第3292号)

新記号論 脳とメディアが出会うとき 書評
仕組み化する世界における知性
人文科学のバージョンアップ

新記号論 脳とメディアが出会うとき
著 者:石田 英敬、東 浩紀
出版社:ゲンロン
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脳科学の進展、デジタルメディアの登場、消費資本主義、といった状況をふまえて、従来の記号論、ひいては人文科学そのものをバージョンアップしようというのが本書の趣旨である。石田英敬と東浩紀両氏による対談ならびに石田氏による四つの「追伸」によって構成されている。ゲンロンカフェで行われた対談においては、様々な領域における最新の知見が紹介され、それぞれが読者に驚きをもって迎えられる内容となっている。それに加えて、石田氏はC・S・パースの記号論に手を加えて、デジタルメディアに対応した、独自の記号システムを考案している。これが本書の目玉だと言える。この石田氏の「発明」の意味するものは何か。

国家としての歴史が短いアメリカの哲学は、プラトンからはじまるヨーロッパ哲学史の呪縛から解放されている。アメリカの哲学は、哲学史において権威のあるテキストを参照するというよりは、いま手元にあるものを組み合わせて自前の概念を作りあげている。アメリカ独自の哲学潮流であるプラグマティズムとは、具体的な思想内容というより、このむしろこのハンドメイドの感覚によって裏打ちされていたように思われる。たとえばプラグマティズムの創始者のひとりでもあるパースにとって、記号とは身近にあるものを哲学的思考のパーツに変換するための装置だったのである。

こうしたエンジニア的な発想による哲学は、権威あるテキストへの転移による真理の発見という手法と敵対するものである。あるテキストを道具として活用するためには、それをバラバラの断片に分解したうえで、自らの手で組み立て直すという、きわめて偶像破壊的な作業が求められるからだ。こうした発想は新しいものではなく、トマス・モアの『ユートピア』以来、ひとつの思想潮流として認知されている。モアのユートピアでは、国家が「仕組み化」されることによって、支配から分離された「統治」が主題として浮上している。このエンジニア的発想にもとづく統治という問題系は、フーコー『監獄の誕生』でおなじみの「パノプティコン」にも見て取ることができる。このエンジニア的な知性は、デザインと制作を分離するという、近代産業の前提に対してオルタナティブを提示するものでもある。

こうした潮流の存在にもかかわらず、大学の人文科学における知的営為は、権威あるテキストへの転移による真理の発見という身振りを繰り返してきた。しかしその手法もデリダたちの「脱構築派」によって飽和状態に達した。いまや人文科学の知は、転移の身振りをシニカルかつ演劇的に繰り返すか、カルチュラル・スタディーズのようにテキストへの転移を必要としない手法を選択するかの二択となっている。このふたつの手法をあわせ持っているのが、スラヴォイ・ジジェクによる一連の自己模倣である。

こうした背景のもと、この対談で目論まれているのは、もはやシニカルな身振りに固定されてしまった転移による知性から、人文科学の主導権をエンジニア的な知性へとシフトすることである。ゲストスピーカーである石田氏は、ベルナール・スティグレールの技術論から、M・フーコーの統治論、パースの記号論、フロイトの精神分析にいたるまで、異様に幅広い守備範囲を誇る人物であるが、その関心は、エンジニア的な知の系譜に集中している。またホスト役である東氏は、『動物化するポストモダン』以降、一貫してエンジニア的な知の手法を駆使している。両者に共通しているのは、彼らの選択が醸しだす「発明家マインド」である。

視野を広げて考えてみれば、このエンジニア的な知性は、すでに地球を覆っている。それはインターネットが云々という話ではなく、「自己統治」がデフォルトであるような状況を自分たちが生きているからである。あらゆる階層の人間が、一流のアスリートなみの自己統治を求められる状況に生きている。セクハラやパワハラ、あるいは薬物摂取の廉で人が批判されるのも、モラル的な観点だけでなく自己統治、つまり「リスク管理」の観点から批判される。この場合の自己統治とは、徹底して自己を「仕組み」として扱おうという意志のことである。

こうした状況において、現代人に与えられた選択肢は限られている。エンジニア的な知性を横目にテキストへの信仰を維持するのか。あるいは自己統治のツールとしてエンジニア的な知性を活用するのか。それとも仕組み化する自己を宿命として受け入れ、あらたな生命体、エルンスト・ユンガーの言う「労働者」としての生を生きるのか。いずれを選択するにしても、本書にあるような知見と探究心は必須であろう。
この記事の中でご紹介した本
新記号論 脳とメディアが出会うとき/ゲンロン
新記号論 脳とメディアが出会うとき
著 者:石田 英敬、東 浩紀
出版社:ゲンロン
以下のオンライン書店でご購入できます
「新記号論 脳とメディアが出会うとき」出版社のホームページはこちら
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