万葉文化論 書評|上野 誠(ミネルヴァ書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年6月8日 / 新聞掲載日:2019年6月7日(第3292号)

万葉文化論 書評
「万葉文化論」の 足跡と全貌
学(ディシプリン)としての可能性を示す

万葉文化論
著 者:上野 誠
出版社:ミネルヴァ書房
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万葉文化論(上野 誠)ミネルヴァ書房
万葉文化論
上野 誠
ミネルヴァ書房
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本書は、一九九九年から二〇一七年までに著者上野誠氏が書き継いできた論文三九編を「万葉文化論」のタイトルのもと、加筆修正を加えて一冊の書物に集成したものである。

「文学研究」としての自立を追求し、そのための研究方法をめぐって激しい議論が交わされた一九八〇、九〇年代の後、二一世紀の万葉集研究は、その議論によって生じた学界の亀裂を修復するとともに、他の研究分野との新たな連繋を構築しながら、多様な視角からのアプローチを進めている。著者は「万葉文化論」という独自の旗を立て、この二一世紀の万葉集研究の流れを領導して来た一人に外ならず、本書はその足跡と果実の全貌を示すものである。

著者の主張する「万葉文化論」とは何か――。著者の言葉によれば、それは、「記憶」「心意」「感覚」「知識」「伝承」「慣習」などのかたちをとって人や場に蓄積された歴史を、万葉歌を通して考える研究であり、その方法は、万葉歌をAそれが背負う生活的・社会的側面、B表現的側面や表現上の創意工夫、C万葉集の人々の心性という三側面の相互関係に注目して分析することである(「緒言」)。

古代日本史・考古学の最新の知見を始め、産業史・技術史・服飾史・労働史などの知識、著者自らの民俗調査の成果や足で歩いて得た土地の印象を縦横に駆使する「万葉文化論」は従来の万葉歌の解釈を着実に更新している。

特に農事(第六章)や染織などの女性の労働(第七章)について、例えば、序詞「小山田の苗代水の」が「中淀」(逢瀬が途絶える)にかかる理由を、水路を長くして温まった水を山の苗床に入れるという農業技術に基づく(水路が長いため途中で淀みやすい)と解明するなど、鮮やかな手わざを見せる。また、妻が旅先の夫に着せたいと願う白色の衣が、重労働の「解き洗ひ」(衣の縫糸を解いて洗うこと)によってしか得られないことに注目し、「白」に妻の霊力を見たことも、貴重な発見である。

さらに、「万葉文化論」は万葉集研究内部に止まるものではない。二〇〇〇年代に入って発見が相次いだ「歌木簡」の使用法について、宴に臨む前の習書(難波津木簡)や、不特定多数の人々に歌を示すもの(秋萩木簡)というアイディアを提示し、古代日本史研究者との間で激しい論争を巻き起こした(第四章)。その当否は、「歌木簡」の情報が十分に蓄積される将来に委ねられるが、万葉集研究と日本史学・考古学が議論し合える共通の場を作り出した意義は大きい。

ところで、「万葉文化論」という名称は、万葉歌の背景にある文化、あるいは万葉歌が生み出した、文化としての表現空間を俯瞰する体系的文化論の展開を、読者に期待させる。しかし、本書は必ずしもそのようになってはいない。それは収録されている各論文の多くが万葉歌の解釈の更新というスタイルをとることに加え、古代に現代との共通性を見ようとする著者のスタンスにもよるのであろう。そもそも著者の感性は、堅固な構造性よりも、「型」からの臨機応変な逸脱や、意表を突く笑いを強く志向している。

とはいえ本書を通読すると、「万葉文化論」とは古代都市とそこで生活する律令官人の文化の解明をめざすものと私には受け止められる。著者が万葉歌に見た、律令官人たちの都誇りの意識、当意即妙な言葉のやり取り、園芸愛好などは、まさに柳田國男の古典的都市論『都市と農村』(定本柳田國男集第十六巻、初出一九二九)第四章「町風田舎風」が挙げた近世都市民の心性と重なる。ただし、園芸愛好を現代のガーデニングに直結する著者に対し、柳田はこれを「帰去来情緒」と呼び、土から離れた者の〈不安〉を見た。柳田は日本の近世都市が農民によって支えられているという歴史的条件を重視したのである。

〝天皇を中心に人為的に造られた集住空間〟としての古代都市という歴史的視点を一貫させた時、「万葉文化論」は学として一層豊かな姿を示すように私には思われる。
この記事の中でご紹介した本
万葉文化論/ミネルヴァ書房
万葉文化論
著 者:上野 誠
出版社:ミネルヴァ書房
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