【横尾 忠則】本当の物語は、物語が終ったところから始まるはず|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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日常の向こう側ぼくの内側
更新日:2019年6月11日 / 新聞掲載日:2019年6月7日(第3292号)

本当の物語は、物語が終ったところから始まるはず

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2019.5.27
 アトリエでスリッパを引っかけてころぶ。大人でも子供のようにころぶんだ。ころぶにまかせたせいかケガはなし。

4日後に個展を控えて、小品2点追加。
2019.5.28
 〈タイムマシンノ様ナ機械ニ入レラレテ妻ハ何カノ検査カ治療ヲ受ケルガ、終ッタ途端、全身ノ震エガ止マラズ、半狂乱状態デ意味不明ノ言葉ヲ発スル〉。夢による錬金術か?

時々アトリエの入口当りから人の声がすることがある。難聴なのにどうして聞こえるのかよくわからない。

NYのコレクターからオファーを受けているハワイのY字路の風景画に取りかかる。
2019.5.29
 〈建物ノ1階ト2階ノ壁ガ崩落シテ不思議ナ空間ガ出キテイル建物ニ知人ノ女性ヲ訪ネテ来タモノノ、相手ノ名ガ思イダセナイママ、近クニアル郷里ノ映画館ニデモ入ロウカナト思ウ〉ところで夢は終り、足元のテレビをつける。するとブラウン管に鶴田浩二と藤純子が映った。「アッ、そーだ訪ねた知人の女性というのは藤純子さんだったのだ」。このシンクロニシティは夢と現実の時間がパラレルであることを証明した。

榎本了壱さんがプロデュースするオリンピック年のあるプロジェクトの2度目の打合せを。

2日後のSCAIの個展にまつわる何やかやのチェックや連絡事項で忙しい。
2019.5.30
 〈信楽ノ大塚オーミ陶業ニ勤メルコトニナッタケレド、他ノ社員トノペースガ合ワナイ〉。意味不明の夢。

国書刊行会の清水さん来訪。山田詠美さんの小説『つみびと』のための挿絵を集録した作品集の打合せ。全作が映画のクローズアップのような画面構成になっている。言葉の意味を無化したような絵の連続は絵によるヌーボロマンと言えるかも知れない。

制作中のハワイのY字路風景画は描いたり、つぶしたりの繰り返し。こねくり廻した結果、「遊びの王国」へ。

公園のベンチで本を読んでいると、ぼくと同年輩の男性が、高校野球の入場式みたいに両手を力強く頭の位置まで振り上げ、足の膝を腰の高さまで上げて、機関車のように堂々と散歩しながら、ぼくの前を通り過ぎていく。真剣に生きているんだろうなあ。
2019.5.31
 〈神戸ニ妻ト滞在シタアト妻ハ神戸ニシバラク残リタイト言ウ。ボクハ東京デ絵ノ生活ガアル〉。小説や映画はここで終る。だけど本当の物語の始まりは物語の終ったところから始まるはずである。どうして物語はケリをつけようとするのだろう。絵にはそんな物語のように結末などない。

朝日新聞の重ね刷りの書評をTシャツにした。限定商品で部数は60着。ツイッターで告知した途端、一日でほぼ完売。今後は予約注文に切り換えることにする。

夕方からSCAIザ・バスハウスでの個展のオープニングへ。家族、スタッフも参加。来客が多く、全員に挨拶はできず。知人はアウンの呼吸で目と目でアイコンタクト。長々と話し掛けてくる人のほぼ全員は知らない人ばっかりで、一方的な自己アピールが中心。オープニングはおゝむね社交の場と化し、作品に対する感想も批評もほとんどない。作品が言葉を封印させるのか、それとも見る人間が自ら言葉を抹殺するのか? この画廊は元々銭湯。声が反響する。全員、裸のままが似合ったかも。

二次会は関係者を2台のバスで神田の美味い中華料理店へ。画廊のおもてなし。
左から、小池一子(十和田市現代美術館館長)、横尾泰江、白石正美(スカイ・ザ・バスハウス代表取締役)、筆者、椹木野衣(美術評論家)、谷新(美術評論家)、青野和子(ハラ ミュージアム アーク館長)、南雄介(愛知県美術館館長)漢陽楼にて(撮影・徳永明美)

2019.6.1
 終日アトリエで躰ごとぼんやり。夕方マッサージへ。
2019.6.2
 〈老詩人ト歩キナガラ美術ト文学ニツイテ話ス。文学ニハ意味ガ必要ダケレド美術ハ意味ナド不必要ト話ス〉夢。

ヤクルト16連敗。連敗には意味があるに違いない。(よこお・ただのり=美術家)
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