もうひとつの〝東大闘争〟「東大反百年闘争」の当事者・森田暁氏に聞く③ ――マルクス主義青年同盟と日本学生戦線―― 外山恒一連続インタビューシリーズ「日本学生運動史」|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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もうひとつの〝東大闘争〟
更新日:2019年6月14日 / 新聞掲載日:2018年6月14日(第3293号)

もうひとつの〝東大闘争〟「東大反百年闘争」の当事者・森田暁氏に聞く③
――マルクス主義青年同盟と日本学生戦線――
外山恒一連続インタビューシリーズ「日本学生運動史」

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森田 
 「8・25共闘」については、ネットにもあんまり載ってないんですよ。諸党派いろいろ入ってたんだけど、中心は〝復活したML派〟でした(後日、関係者から、日大全共闘文理戦線を中心とした全国学生戦線八〇〇の部隊がコアにいたと耳にした)。ML派は一九七〇年六月に原宿で機動隊と派手にぶつかって壊滅して〔註1〕、バラバラになっちゃうんですね。でも、小サークルとしてあちこちに散在して残ってて、駒場でも上の学年にML派残党がひとりいました。Kさんというきれいな女性で、一時期はぼくも一緒に三里塚を支援する会とかやってたんですけど、いつの間にか、いなくなっちゃったんです。それが、気がついたら「8・25共闘会議」に、ML派は当時「解放委員会」(七二年八月結成)という名前になってましたが、そのひとりとして出てくるようになった。その解放委員会を中心として、なぜか不思議なことに、旧マル戦派の「怒濤派」っていう静岡県系の党派があって、さらに「赤色戦線」っていう構改派系の党派もいて、それはその直前の、七一年の終わりぐらいだったか、共労党(共産主義労働者党)が三分解したうちの……。
外山 
 最左派が赤色戦線ですよね。
森田 
 そうそう、飯田桃のグループかな。それから〝赤ヘル全共闘〟というか〔註2〕……。全国全共闘が七一年六月に崩壊して、丸一年はとくに動きがなくて、それが相模原の闘争でまた、わりとみんな一緒にやるようになって機運が高まるんだけど、革マルは最悪で、これはもう悪魔みたいに思えたし、中核というのもどこか似たところがあるし、解放派も云ってることはカッコいいんだけどアテにならないのと、やっぱり実は、彼らこそ反ファッショといいながらファシスト的統制の傾向があるのではないかという……あっ、ファシストの外山さんを目の前にして、すみません(笑)。
外山 
 いや、云わんとするところは何となく分かりますよ。
森田 
 一番アナキズムに近いような雰囲気だけど……。
外山 
 でもれっきとした〝党派〟だっていう。
森田 
 実は解放派が一番ゴリッとしてるんです。やがて狭間派(解放派の学生を主体とした部分)なんかができて、それはよく知られているように、当時からそういう雰囲気はあったんですよ。
外山 
 解放派は反レーニン主義で、つまり自分たちが〝前衛党〟だという意識がないから、〝大衆〟と対等な立場のつもりで、何かあればノンセクトにも本気でぶつかってきたりしますからね、テロ部隊まで持ってる党派のくせに(笑)。
森田 
 そんな感じはありますね。……ともかく時期的には〝連合赤軍事件以降〟だし、連赤というのはある意味でマオイズムの破産でもあったはずなのに、そんなふうには認識されてなかったようで、とくに関西を中心にマオイズムの影響が引き続きすごく強かったんです。しかも東大の活動家はみんな、京大に対してコンプレックスを持ってるんですよ。というのも、東大は六九年の安田講堂で破綻しちゃって、その後ちっとも闘争を再建できないんだけど、京大は、それまで六〇年代後半はずっと代々木(共産党)に負けてたのが、一気に引っくり返して同学会(自治会)を獲っちゃうでしょ。あの頃は『THE DOGAKKAI』なんて英文の雑誌まで出してたし、すごかったんです。

京大の連中には勢いがあって、京都から駒場に、いろんなレベルで波状的にオルグに来てました。要は「8・25共闘会議」というのは、そこに掴まった連中なんですね。で、「8・25共闘会議」が生み出したものは何かと云えば、あの「マル青同」〔註3〕ですよ。
外山 
 なんと、そうなんだ!
森田 
 マル青同の母体なんです。だから悲惨な話でしょ。六八、六九年の運動って、結局最後にたどり着くところは中核・革マル・解放派の内ゲバと、マル青同だっていうね。みんな〝連赤が悪い〟とか云うけど、連赤よりもっと悪いですよ。
外山 
 連赤は、自分たちの内部で殺し合っただけで、他党派やノンセクトをテロったりはしていませんからね。
森田 
 マル青同が〝ラスボス〟です。今でもあれが何だったのかよく分かりませんよ。中国共産党がバックにいたことは間違いないと思うんですけど……。実は、その時にできたのはマル青同だけではなくて、もうひとつ、そのマイナー・バージョンというか、「日学戦」というのは聞いたことあります? 「日本学生戦線」っていうグループ。
外山 
 今、なんか〝選挙プランナー〟みたいになってる……。
森田 
 そうそう。斎藤まさし〔註4〕ね。彼は上智大の活動家だったんですよ。マル青同は、まるで右翼みたいな格好で行進したりしてたけど……それは知ってますか?
外山 
 ええ、もちろん写真で見たことがあるだけですけどね。 
森田 
 赤ヘルをかぶってるんだけど、それで軍服みたいなのを着て……〔註5〕。
外山 
 〝制服〟があるんでしょ?
森田 
 そうなんです。で、駅前で〝行進〟したりしてて、号令かけて、「ナントカに敬礼!」とか、やってましたよ。どうもあれは、わざとそういう集団を一方で作っておいて、他方で〝学生運動の組織〟として日学戦が作られたんじゃないかという気がするんですよね。 〈次号につづく〉
***
〔註1〕六月一四日、一三二名が逮捕される。
〔註2〕ブント系の諸党派は赤いヘルメットがトレードマークだった。
〔註3〕マルクス主義青年同盟。七三年十一月結成。七五年五月、岡山大を拠点化しようとして乗り込み、学内活動家たちと対立し、ノンセクト学生ひとりが亡くなった事件で知られる。
〔註4〕日学戦の中心人物。八三年に「MPD・平和と民主運動」を結成して議会進出路線に転じ、後に堂本暁子や嘉田由紀子、山本太郎や三宅洋平など多くのリベラル派候補の陣営で選挙参謀的な役割を果たし、〝無党派選挙のプロ〟などとも呼ばれている。
〔註5〕迷彩柄の戦闘服に竹槍、街宣車という右翼まがいのスタイルで世間を驚かせたという。
【編集部より】本稿は、森田暁氏の記憶に基づいたものです。当時の情報等をご存じの方は、編集部までご一報下さい。info@dokushojin.co.jp
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