中平卓馬をめぐる 50年目の日記(10)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2019年6月18日 / 新聞掲載日:2019年6月14日(第3293号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(10)

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「大学の授業はどう?」
と中平さんに聞かれた。行きがかりがあったから気にしてくれていたのだろう。

私はいくつかの授業の話をした。

実習の多くでは失敗続きだったが、それによってマン・レイのソラリゼーションやモホリ・ナギのフォトグラムの由来を知ることができるので、面白いことの方が多かった。

だが、「写真史」や「西洋美術史」のような一般科目の多くが退屈だった。退屈を埋めるための図書室の内容が乏しかったのは、写真集をはじめ関連図書そのものがまだ世の中に多くない頃だったから当然だったかも知れない。

だから私は銀座にあった「明裕国際会館図書室」によく通った。この図書室は台湾から留学し、のちに実業家に転じた卒業生が母校に恩返しをしたいと恩師に申し出て、それならデザインや写真など視覚系分野に特化した資料室を若い人たちのためにつくってやってほしいと提案されて誕生したという私設図書室である。三原橋の自社ビルの地下の一室にそれをあて、海外の雑誌やはじめての写真集をゆたかに見ることが出来る唯一のところだった。ちなみに恩師とは金丸重嶺先生。日本の現代写真をひらいた先駆者の一人だ。

その図書室でユニークな写真が載った本を見た。作者名を見ると、「アニエス・ヴァルダ」。「5時から7時までのクレオ」の監督で、演劇や映画などを幅広く提供するパリの公的文化機関の専属写真家であることをはじめて知った。早速その「大発見」と、彼女のような人のことが授業では触れられないことへの不満を、待ち合わせをしていた中平さんに報告すると、彼はすでに映画の知識の側からそのことは知っていて、
「授業では登場しないような写真家だね。でも、新しいことに出会わない授業こそが大学の授業さ。苛立って自分で何とかしなくてはと思うようになる。陳腐こそ偉大だよ」
と、私の発見を皮肉まじりに褒めてくれた。

授業の中では岡田晋さんの「映像文化論」という流行の先端を行く授業も楽しかった。当時は「映像」という言葉が急速に台頭してきた時代。「写真」は古く、「映像」はそれにとって代わる新しいもの、という風潮さえあった。しかしその授業からは古いとか新しいとかの風俗性ではなく、「映像」のおおらかな概念、映像こそが不確かさの受取人だということを教わった。もう一つ、受講生でびっしり、私語が飛び交って騒然とした大教室で開かれている「英文学」の授業の話もした。
「テキストは『息子と恋人』。これが英文学というよりロレンス応援派の繰り言のような感じで面白いんです。なにせ聴いているのは最前列中央の三人くらいだけですから、あきらめたように小声で話す先生なんで。伊藤整の息子さんなんですって」

すると中平さんは、「よかった、結構楽しめる大学のようだね」と、ホッとした笑いを浮かべた。そして
「ボクも『写真史』を完読してみようかな。その王道とされている本はなに?」
と言う。
「ニューホールの『写真の歴史』かな、今度もってきましょうか」。

それとて古書店で手に入れたものだったがつぎに会ったときにそれを渡した。それから間もなくして図版も豊富なゲルンシャイムの『世界の写真史』が出た。中平さんはこの新旧二つの「定番」をほとんど同時期に読み比べたと思う。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)

   (次号へつづく)
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