黙って踊れ、エレクトラ ホフマンスタールの言語危機と日本 書評|関根 裕子(春風社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

  1. 読書人トップ
  2. 書評
  3. 読書人紙面掲載 書評
  4. 文学
  5. 外国文学
  6. ドイツ文学
  7. 黙って踊れ、エレクトラ ホフマンスタールの言語危機と日本の書評
読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年6月15日 / 新聞掲載日:2019年6月14日(第3293号)

黙って踊れ、エレクトラ ホフマンスタールの言語危機と日本 書評
オリエント憧憬を背景に
西洋から東洋へ、異文化交流の複雑さと豊かさ

黙って踊れ、エレクトラ ホフマンスタールの言語危機と日本
著 者:関根 裕子
出版社:春風社
このエントリーをはてなブックマークに追加
『エレクトラ』初演時(一九〇三年)の舞台写真を用いたカバーデザインが印象的である。漆黒の闇を背にして、地べたに手をついたまま、上目づかいに見上げる女の半身が浮かび上がる。本書は、世紀転換期ウィーンの詩人・劇作家フーゴー・フォン・ホフマンスタール(一八七四—一九二九)の戯曲『エレクトラ』において、なぜ主人公は「名前のない踊り」を踊りながら死んでいくのか、という問いを軸にして展開される。詩人として出発したホフマンスタールがオペラや舞踊などの非言語的芸術に抱いた関心、特にその「非西欧的身体表現」への関心と彼の「言語危機」との関連は、すでに指摘されてきた。著者の関根裕子氏は、この転換の背後にある日欧の複雑な文化交渉を、書簡や蔵書への書き込みなどの一次資料も駆使しつつ、テクストの精緻な読解に基づいて分析していく。ドイツ文学研究のみならず、比較文学・比較演劇研究など、多方面に資する労作である。
まず、松居松葉と森鷗外がそれぞれホフマンスタールに宛てた未公開書簡が、本書執筆のきっかけであったことが紹介される。ホフマンスタールの返信からは、彼が松葉による『エレクトラ』の日本初演(一九一三年)に強い関心を抱いていた様子が読み取れる。
ホフマンスタールの目に映る西欧社会は、行き過ぎた主知主義と「個体化」によって世界全体との生き生きとした関連を見失っており、言語もまた生の全体を表現する力を失っていた。このような「言語危機」に陥ったヨーロッパ再生のために彼が注目したのが、ディオニュソス的な陶酔の原理が支配する古代ギリシアであり、その古代がなお息づいていると思われた、中国や日本を含んだ広義の「オリエント」であった。

ドイツ語圏には、英仏とは微妙に異なるオリエント研究とオリエンタリズムの歴史があり、関根氏は多くの先行研究を踏まえて厚みのある記述を行っている。ホフマンスタールもその一員であった「若きウィーン派」には、西洋近代の合理主義への懐疑と、その対極にあると考えられた東洋および日本の文化への憧憬があった。日本文化に関して、ホフマンスタールが最も影響を受けたのはラフカディオ・ハーンである。日本人の仏教的な観念に関するハーンの説明を踏まえて、彼は、個我のみへの執着から、自己と世界が融和した「超個人性」へ至る「浄化のプロセス」がヨーロッパ再生に不可欠だと考えた。

ホフマンスタールは、女優の川上貞奴や、モダンダンスの舞踊家セント・デニスなどの身体表現が、言語では表現できない生の全体を表現する「ヒエログリフ」であると解釈していた。これらの新しい表現者に共通するのは、歌舞伎やインド舞踊など、何らかの意味で「非西欧的」な身体技法を、西欧的な舞台表現に取り入れたことである。「黙って踊れ」と叫ぶエレクトラの「名前のない踊り」も、古代の「オリエント」的な踊りであり、言語を超越した全体性を目指している。だが、父の暗殺という凄惨な個我の物語に執着してきたエレクトラには、脱我の後の生はなく、「浄化のプロセス」は死を以て終わる。夢見られた共同体の「輪舞」は、幻影としてのみ存在するのである。
ホフマンスタールが「非西欧的身体表現」に、生の全体性を見たとすれば、『エレクトラ』日本初演への期待は理の当然と言える。松葉宛の返信で、日本人俳優の方が「死にゆくエレクトラの踊り」をより良く表現するだろう、と述べているのも頷ける。残念ながら、言語も演技法も舞台装置も全く異なる西洋演劇を日本に移入しようとした試みは、必ずしも公演として成功しなかった。しかし、世紀転換期ヨーロッパのオリエント憧憬を背景にした『エレクトラ』の成立から日本での初演、それをめぐる激しい論争までを本書で辿って見えてくるのは、「憧れと錯覚」が多分に含まれた、異文化交流の複雑さと豊かさである。
この記事の中でご紹介した本
黙って踊れ、エレクトラ ホフマンスタールの言語危機と日本/春風社
黙って踊れ、エレクトラ ホフマンスタールの言語危機と日本
著 者:関根 裕子
出版社:春風社
以下のオンライン書店でご購入できます
「黙って踊れ、エレクトラ ホフマンスタールの言語危機と日本」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
文学 > 外国文学 > ドイツ文学関連記事
ドイツ文学の関連記事をもっと見る >