ディスタント 書評|ミヤギ フトシ(河出書房新社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年6月15日 / 新聞掲載日:2019年6月14日(第3293号)

ディスタント 書評
世界から隔てられた「僕」の 言葉が美しい

ディスタント
著 者:ミヤギ フトシ
出版社:河出書房新社
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作者のミヤギフトシは沖縄生まれの現代美術家で、自分自身の記憶や体験を基底に置き、人種やアイデンティティといった問題を浮かび上がらせる作品で知られる。あるいは三つの中篇小説を収めた『ディスタント』もまた、そのような作品の一つとして受けとることができるかもしれないが、もちろんそのことと関係なく読むことができる、すぐれた現代文学の作品集になっている。

一篇目の「アメリカの風景」は、アメリカ合衆国にいる語り手の「僕」が友人たちと会話しながら、出身地である沖縄で暮らしていたころのことを回想していく作品である。また二篇目の「暗闇を見る」は、沖縄に住んでいた中学時代から大阪に移った専門学校時代までの出来事が、その間断続的に遊んでいたロールプレイングゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズのイメージを軸にして語られる。語り手は基本的に「僕」だが、後半で若き日の「僕」の記憶や体験を俯瞰する現在の「私」が現われ、その「私」は現代美術家である作者自身を連想させるようになっている。

そうすると一種の自伝的な内容の作品にも思えるが、おそらくそうではない。作者は、世界に対してある独特の距離感をもつ「僕」を創造的に描き出しているのであり、だからこそ三篇目の「ストレンジャー」で登場する、その「僕」がアメリカでニューヨークの大学に通い、自らのアイデンティティを問い直しながら美術制作者なっていく過程が、きわめてスリリングなのである。

ではその「僕」とはどのような存在なのか。それは表題の「ディスタント」という言葉が示唆しているが、目の前の世界で起きている出来事からどこか隔てられた、その世界に参加することを躊躇しているような存在である。そうした距離感は一篇目の「アメリカの風景」で、語り手の「僕」が内なる「アメリカ」との出会いとして語っている出来事によく表われている。日本が一九四五年に敗戦し、アメリカ軍基地が置かれた沖縄にはあちこちに「アメリカ」由来の風景があるが、その中心にあるのはアメリカ軍人だった父親と日本人の母親をもつ同級生「クリスくん」の記憶である。

その友人「クリスくん」の様子は、語り手である「僕」が彼の存在に欲望しているような、同時にその欲望に「僕」自身が気づいていないような、繊細きわまりない言葉遣いで描き出される。しかしそうして二篇目の「暗闇を見る」も含め、安易な意味づけや物語化を拒む「僕」の言葉で丁寧に紡がれていく「僕」の世界は、なんと美しいことだろう。

三篇目の「ストレンジャー」で、その沖縄で育まれた「僕」と世界の距離感には、美術作品として表現があたえられる。これまで沖縄は、戦争の被害や「戦後日本」の矛盾を告発する場所として描かれてきたが、そこでは人類にとっての普遍性な価値を生み出す空間に変貌している。沖縄を舞台にすることの意味を問い、そのことが現実を変成する可能性ももつ、文学史的な曲がり角を示す画期的な作品集だ。
この記事の中でご紹介した本
ディスタント/河出書房新社
ディスタント
著 者:ミヤギ フトシ
出版社:河出書房新社
以下のオンライン書店でご購入できます
「ディスタント」出版社のホームページはこちら
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