遠藤周作と探偵小説 痕跡と追跡の文学 書評|金 承哲(教文館)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年6月15日 / 新聞掲載日:2019年6月14日(第3293号)

遠藤周作と探偵小説 痕跡と追跡の文学 書評
神学と文学の協働による新たな成果
斬新かつ独創的な遠藤研究の方法を提示

遠藤周作と探偵小説 痕跡と追跡の文学
著 者:金 承哲
出版社:教文館
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この書は遠藤研究の斬新かつ独創的な方法の提示で従来の正統的なアプローチにはない、まことに刺激的な内容をもつ。著者は神学者による拙い研究と謙遜するが、表紙裏に英国の宗教詩人F・トンプスンの「天の猟犬」からの一節が引かれ、神学と文学の協働による新たな成果が期待される。

「はじめに」で著者はカトリック小説と探偵小説に関する遠藤の書き込み(痕跡)から、遠藤が自身の小説作法を探偵小説から得たと推理する。つづく第一章「芸術体験としての探偵小説」で著者は解釈学のH・ガダマーを援用し、体験はその理解・解釈を経て初めて体験となると言う。実際、遠藤自身も自分が小説を書くのは人生体験(事実)そのものからではなく芸術体験(真実)からだと言う。

第二章「遠藤文学の探偵小説的構造」に関して言えば実際、何人かの研究者もそれに気付き、その起源が遠藤の仏留学時の読書体験にあることも承知である。しかし純文学から中間小説に至る全作品を追跡し、探偵小説的構造を鮮やかに取り出して見せたのは著者のみである。というのもその検証には神学、哲学、文学に関する該博な知識の上に、神学と文学を結びつけ、妥当な結論を導きだす構想力が必要だからである。そこで第三章「なぜ探偵小説なのか」で著者は探偵小説(ミステリー)と神学の関係を明らかにする。たしかに偉大な文学作品はすべてミステリーとも言える。例えば『ハムレット』では父王急死の原因の究明、『カラマーゾフの兄弟』では父親殺しの犯人捜し、『罪と罰』の主人公と予審判事とのやり取りは緊張感に満ちた心理的探偵小説そのものだ。そこには追う者と追われる者の関係、G・グリーンの得意とする探偵小説のスリラー・パターンがある。

我国でミステリー小説(探偵小説)と言うと、探偵が痕跡をもとに犯人を追跡する犯罪小説を指すのだが、そもそも英語のmysteryという言葉には探偵が解く謎と、神が人間に与える神秘(秘跡)の二つがある。極論すればミステリーと言う言葉のこの両義性に本作における著者の構想の根本的テーゼが存する。ここで我国の代表的キリスト教作家、遠藤周作の創作の秘密が解明されるのだが、それは単なる犯罪的な謎の解明に止まらず、魂の次元における(神の)神秘を見出だすことなのだ。即ち「痕跡」の「追跡」、この追う者と追われる者の関係、人間の次元では謎に他ならぬ出来事が天の猟犬、神による追跡の秘跡であることが明かされる。遠藤は歴史とドストエフスキー研究の大家J・マドールのグリーン論を読み「作家の日記」で、やはり自分は小説技法を学ぶには映像と探偵小説に頼るのがいいと思うと記す。

遠藤にモーリアック以上に影響を与えたG・グリーンは追う者と追われる者の関係をじつに巧く使うと遠藤は言う。この頃の遠藤はモーリアック、ベルナノスを熱心に読みながら、他方で計画的(「二十八日の計画」一二頁)精力的にガリマールから出版された米国のハード・ボイルド小説を耽読した。しかし遠藤の探偵小説に対するこの傾向は留学以前に既に日本で始まっていたと著者は今井真理を援用して述べる。第五章「探偵小説として読む『沈黙』」はそこだけ独立しても読める内容だが、著者が最終章に置いた狙いは遠藤作品を探偵小説として、即ち追う者と追われる者(それは時に逆の関係になることもあるが)のスリリングな追跡劇を確認するためなのだ。
この記事の中でご紹介した本
遠藤周作と探偵小説 痕跡と追跡の文学/教文館
遠藤周作と探偵小説 痕跡と追跡の文学
著 者:金 承哲
出版社:教文館
以下のオンライン書店でご購入できます
「遠藤周作と探偵小説 痕跡と追跡の文学」出版社のホームページはこちら
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