長濱一眞長編時評(上半期を振り返って) 啓蒙の弁証法? ――「一億総活躍社会」にようこそ|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 特集
更新日:2019年6月14日 / 新聞掲載日:2019年6月14日(第3293号)

長濱一眞長編時評(上半期を振り返って)
啓蒙の弁証法?
――「一億総活躍社会」にようこそ

このエントリーをはてなブックマークに追加
 今年も間もなく上半期が過ぎ去ろうとしている。平成の世から令和の時代へと元号は変わったものの、世の中の状況にさほど変化は見られない。〝アベノミクス〟の失敗にも、多くの国民は気づきはじめている。果たして、二〇一九年の今、日本はどのような局面にあるのか。本紙論壇時評を担当する批評家・長濱一眞氏に、一足早く上半期を振り返ってもらい、「長編時評」(一万字)を寄稿いただいた。       (編集部)


第1回
運と自己責任


五月一三日のトヨタ自動車社長による「終身雇用を守っていくのは難しい」との発言が、その報道を受けての概ねの反応どおり「いまさら」だとすれば、同二二日に金融庁が今後公的年金では然るべき生活水準を満たせないと明言し国民に「自助努力」を要請したこともまた同断であって、ひいていえば、前者において、資本は労働力を再生産するにたる賃金を支払わずにおく範囲をこれまで以上に拡大し、総体として雇用を保証しないこと、後者にあっては、国民に健康増進を謳い「人生一〇〇年」を強いつつ国家はもはや市場外からのそれに関する保障を漸進的に放棄することをそれぞれ通告しているのだろう。退職金の減額傾向や副業解禁含め、それらはなるほど唐突な方針転換では決してないし、だからむろん改元を画期とした事態でもありえないものの、かくなる通告が必要であるほどには、そこで終止符を打たれんとしているものがかつてあったと前提されている。ここで一度立ち止まってみたい。

例えば国家による市場統制を忌避したフリードリヒ・ハイエクは、各々限られた情報にもとづく分散的な参入からなる市場の――一個人から見た――不合理性は、それ故に個々の参入者にとって受容可能性が高まると考えた。だれしもその全体を透過的に掌握できず、したがって予期しえない偶然が紛れ込む以上は、みずからの選択の結果にまったき責任など負うべくもなく、その芳しくない結果はかの「不合理」のためであって、ことさら「私」が「悪いschlecht」わけでない――。ところが、ハイエクをその学説の始祖に数え入れる新自由主義を基調とするところの現在の資本主義のあり様は、かつてなら市場外の領域で個人の差配や思惑を超えた運として捉えられてきた種々の事柄すらも、自己責任の範疇であり、その結果次第では「私」が「悪い」ことを意味する傾向を強めている。縁なる巡り合わせとひとしいものが社会関係資本と言い換えられるごとく、運を理由に断念もできれば自責の念も緩和しえた事々が、人的資本たる個々の企業家――国家や社会でなく――の「努力」によって、厚生労働省いうところの「人づくり革命」によって、計画性にもとづいて、構築し、打開し、増幅し、豊かに運用できる、つまりは「自助」で賄えるものであるかに喧伝されている。翻すに、芳しくない状態は個人の努力不足や計画性の欠如に起因し、その企業家が罪深い‐劣悪であるschlechtためだと見做されることとなった。

フリードリヒ・ヘーゲルは職業団体Korporationを論じて、そこへの所属で以て市民は「才能も生計の保障も、ともに人の認めるところ、、、、、、、、となっている。したがって職業団体の成員は、自分の有能性とちゃんとした暮らし向き、、、、、を、すなわち自分がひとかどの人物、、、、、、、、、、であるということを、成員であるということ以外の>外的表示、、、、によって明示する必要はない」と述べている。ヘーゲルが当時想定し念頭に置いていたのとは異なる側面が認められるとしても、ここで指摘されたことは近代市民社会の中枢機関のひとつである労働組合にも、少なくとも理念的には妥当する。労働組合――それは陶冶育成も担う――が市民社会のなかで有効に機能するかぎり、組合員たることはそれだけで、経験的には当然ながら生ずる能力の優劣や習熟の程度を問わずひとしなみに有機的連関のうちに組み込まれているとの承認を意味し、そのことは市民社会においていとなまれる諸々の労働が抽象的人間労働に還元可能であることに労組は拠り、かつその恒常的な外的保証を負うからこそ成り立つ。そしてその「ひとかどの」市民である労働者の平等性には現実的にもある程度の生計、「ちゃんとした暮らし向き」の保障が伴わざるを得ない。ここにあっては、各々がつねに周囲との優劣の差を考慮に入れみずからの業績づくりとその宣伝に奔走する必要はなく、何故なら労働は「個々の偶然的営利のためではなくて、成員の特殊的生計の範囲という普遍的なもののためのもの」となるからだ。かくなる欲望の体系にして全面的依存性の体系を現実のなかに対自化する労組において、「個々の偶然的」な結果は、芳しいか否かにかかわらず、一般に容認可能な運と捉えられ、加えて、「不合理」な市場のなかにあっても、いうなれば縁を組織化することで個々の運の良し悪しの波を事後的に補填し、相殺しあう契機を提供するものだった。
2 3 4
このエントリーをはてなブックマークに追加
長濱 一眞 氏の関連記事
読書人紙面掲載 特集のその他の記事
読書人紙面掲載 特集をもっと見る >
社会・政治 > 社会全般関連記事
社会全般の関連記事をもっと見る >