江藤 淳 評論 二人の孤独な夢想家 ――ネオ・ファシズムの気流の中で 『週刊読書人』1959(昭和34)年9月21日号 1面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年6月16日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第292号)

江藤 淳 評論
二人の孤独な夢想家 ――ネオ・ファシズムの気流の中で
『週刊読書人』1959(昭和34)年9月21日号 1面掲載

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江藤 淳氏
本紙6月7日号にて特集した平山周吉✕先崎彰容対談「歿後二〇年江藤淳」に関連して60年前の本紙に掲載された若き日の江藤淳の評論を紹介する。
本稿で江藤淳は二人の作家、石原慎太郎と谷川雁を論じる。大江健三郎のテクストを引用しつつ、石原と谷川に共通する精神性、軽薄さの正体を鋭い筆致で抉る。(2019年編集部)
第1回
時代閉塞と「英雄」たち ――共通な“現実破壊”への志向


かつて石川啄木が「時代閉塞」と呼んだような精神的状況が、今日、かなり急速に醸成されつつあるかにみえる。たとえば、大江健三郎氏の『われらの時代』の主人公は

《行動、英雄的でしかも滑稽でない行動、純粋に孤独な中で達成できる決定的な行為、それは自殺だ。自殺だけがわれわれを猶予からまぬがれさせる唯一の道だ。それを知っていながら決行することができないで生きつづける!》

と考えている。彼にとって、生きることは「英雄的」に生きることであり、しかも「純粋に孤独な中で」生きることのようである。だが、酔うべき理想はどこにもない。そうである以上、「英雄的」に生きることを諦めるか、死ぬかのいずれかしかない。要するに彼は「絶望」し、「自殺」を想いながら、ひそかに「英雄的でしかも滑稽でない行動」がまだどこかにありはしないか、と期待しているのである。

これがほとんど作者自身の考えであることは、「文学界」(十月号)の「怒れる若者たち」という座談会での大江氏の発言によっても明らかだろう。

《たとえば中共みたいな社会に日本がなることを望むかというと、単純にいって、僕はそれを望む。しかし、最近の参院選挙などを見ても、社会党が政権をとる見通しがないでしょう。とにかく現実変革を社会党へ望むことはできない。共産党は問題にもならない。……ところが……ネオ・ファシズムを台頭させようということになると、とんでもないことだと思うんですね。そこで結局自分自身の独りごとをいっているより仕方がない。しかし、それではだめなんだ、ということもわかって、追いかけられているわけです》
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